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日記 NOTES

  • 2024.3.9

     

     朝10時、ホテルのすぐ近くまでサイカイちゃんが車で迎えに来てくれて、夕張郡の長沼までドライブした。サイカイちゃんが暮らしていた珠洲の家は、元日の震災で全壊してしまった。彼女がちょうど外出しているときに地震が起きた。とにかくいま、サイカイちゃんは北海道にいる。車に乗りこむなり、私は彼女を抱きしめずにはいられなかった。生きていてくれて、ほんとうによかった。
     車が出発した瞬間から、私たちは会っていなかったあいだに起きた出来事をどんどん話し、札幌の街を出た景色はだんだん広々としてきて、いつのまにかいちめんの雪で真っ白に覆われた平らな土地ばかりになった。いちめんの雪に挟まれた真っ直ぐな一本道を車は走り抜けていって、私たちは〈ハーベスト〉というスローフードのお店でランチにした。お店の傍にりんご畑があるらしく、ポークステーキにもサラダにもりんごのソースやりんごのドレッシングがかかって、生の黄色いりんごも付いていた。じゃがいものニョッキもおいしかった。〈丘の上珈琲〉でくるみのパイまで堪能して、サイカイちゃんは私を、午後3時ぴったりにコンサートホールまで送り届けてくれた。悩み多き日々にも、仕事のできる女子なのだ。
     ホールではコンサートのリハがもう始まっていて、私は持ってきた一眼レフで、聴きながらすこし写真を撮った。18時から本番。たくさんのお客様が入って、サイカイちゃんも来てくれた。始まるとあっというまだった。森山さんは何度もステージに上がって、各曲を解説した。私も一度だけ上がって、自分の話をすこしした。
     歌われる声は、歌う人の体を震わせて、空気を震わせて、聴く人を震わせる。何年も練習を重ねた「炊飯器」は、歌う人ひとりひとりに幾層も降り積もって、ふくよかに熟成されていた。圧巻だった。
     学生時代によく行った高田馬場の居酒屋を思いださせる大広間の宴会場で、打ち上げに混ぜてもらった。スピーチがだめな私は、お祝いがわりに「ウムカ」という詩をよんだ。
     物販用に持ってきた詩集20部、めでたく完売。

  • 2024.3.8

     

     羽田を午後に出る便で、新千歳空港へ。札幌の雪はふわふわ。今朝は東京にもうっすらと雪が積もっていたけれど、全然違う。ホテルにチェックインしてひと息ついて、もう何年ぶりかよく思い出せない札幌の街を、待ち合わせの駅まで歩いた。
     詩集『新しい住みか』の詩四篇を作曲家の森山至貴さんが合唱組曲として作曲してくださったのはもう五年前で、札幌の混声合唱団リトルスピリッツによって2020年3月にお披露目されるはずだったその組曲の初演は、「新型コロナウイルスまん延防止」のために無期限延期になっていた。その四年越しの本番が、明日なのだった。団の発起人でもある指揮者の北田悠馬さんに、初めてお会いできた。演奏会に出席してほしいと北田さんから最初にメールで連絡をもらったのも、もう四年半前。公民館で練習している団員さんたちのもとへ到着して、森山さんと私はそれぞれの立場からのコメントを述べた。みんなの集中力はすごかった。練習が終わると、夜一〇時になっていた。

  • 2024.2.15

     

     夕飯、大豆と塩もみキャベツとソーセージのスープ、ポテトサラダ、ザワークラウト。
     白ワインをあけて、ジャッキーカルパスを用意して、この部屋に住みはじめたときに買って以来ほとんど埃を被ったままのプロジェクターを引っぱりだして部屋を暗くして、アマプラで『テルマ&ルイーズ』を観た。明日から劇場で4Kリバイバル上映されるこの映画を、私は一度も観たことがなかった。女の自由についての——女の、不可能な自由についての映画。ミソジニストどもが(ミソジニスト「ども」という感じで映画は描いていた、どの男もどの男も)性=暴力の対象としてしか見ていない(そしてそれを自分でも内面化している)女の役割を棄てて、彼女たちはどんどん人間の顔になっていく。労働者のおっちゃんから奪ったキャップと盗んだカウボーイハットをそれぞれ被り、一瞬、人生の主導権を握りもする。それが当時のアメリカ社会でいかに不可能だったかを、彼女たちの逃避行すべてが犯罪になっていく様と、泣きたくなるような結末がみせつける。すこし前に見た『哀れなるものたち』が、とてもオプティミスティックな映画に思えてくる。すくなくともベラ・バクスターが摑み取った自由は、教育と仕事に裏打ちされていて、テルマとルイーズが摑んだような後戻りできない絶体絶命の自由じゃなかった。
     だけど、ああ、車ってものは、あんなふうに運転することもできるんだ。道を切り拓いて進むための、頼もしい道具にすることができるんだ。いいなあ……。最近またしばらく車に乗っていない。

  • 2024.2.6

     

     『新しい住みか』という詩集ができたとき、それは2018年で、私は湘南に暮らしはじめて2年目だった。その湘南の家はもともと、当時私のパートナーだったひとの叔父さんが20年近くも暮らしていた家だった。叔父さんが亡くなって、厖大な蔵書の整理も兼ねるという名目で、私たちは東京の2Kの部屋からその家に引っ越した。
     ほんとうに素敵な家だった。平屋で、玄関間にはりっぱな神棚があり、趣味人だった叔父さんの工具や画材で溢れた土間の作業場や、あとから増築した書庫がついていて(雨漏りしてたけど)、縁側の床はすべすべの無垢材で、もうだいぶ老木になった桜の生えた大きな庭があって、私は縁側に座って庭を眺めて涼むのが大好きだった。屋根の上では、近所の猫やからすがよく日なたぼっこしていた。冬には、隣の家の柑橘の実がたわわに実るのがブロック塀越しに見えた。欄間の細工や、窓に使われた結霜硝子、雪見障子、柱の一本一本、どれもが丁寧に作られて、かわいかった。
     その家に住んだから、猫を飼ってもいいかなと思えた。庭には蝶やとかげがたくさんいて、ぺろは飽きなかった。庭の真ん中ではセンダンの木がぐんぐん育って、木漏れ日が心地よかった。建築業の友達が大工のお父さまを連れて、傾いた廊下の床を直しに来てくれたとき、お父さまが、この家のいちばん古い部分はもう築百年ほどだろうと言った。居間の畳を剥がしてみると、すぐ下は海岸と同じ砂の地面で、昔の工法だから、大黒柱は礎石の上に置いてあるだけだった。かびや隙間風やねずみの糞に悩まされたし、寒い時期になると私は喘息を発症した。それでもその家が大好きだった。
     でも、2019年にはもう、私たちはその家を出なければならなかった。地主さんが、”老朽化”したその家を取り壊してアパートを建てたいからということだった。その地区一帯で、そんなことが流行っていた。古くからある庭付きの、ゆったりした造りの家が、どんどんなくなっていっていた。仕方なく近所の物件を探して、猫が飼い続けられる、狭くても庭のあるテラスハウスを(ちょっと家賃は予算オーバーしていたけど)見つけて借りた。一年も経たないうちに、旧居(と私たちは呼んでいた)は跡形もなくなり、桜の木は伐られ、小さな生態系だった美しい庭は消失して、その土地には、どこにでもあるような軽鉄骨のアパートが建った。私は悲しすぎて、それからろくろく旧居の前の道を通れなかった。
     いまはもう、地主さんを責めようとは思わない。土地や家を持つ人には、持つ人なりの考えや悩みがあるのだと思う。私はまだ自分の家を持ったことがない。コロナ禍が始まった頃、一度だけ、本気でマンションの一室を買ってみようとしたことがあったけれど、ぜんぜんローンが下りなくて無理だった。でもいま考えてみると、あのときマンションを買わなくてよかったと思う。いま私が暮らしたいと思っている理想の家と、あのマンションの部屋とは、すっかりかけ離れてしまった。暮らしたい場所のイメージは変わっていくから、私には借りて住むのが性にあっているのかもしれないな、と、いまは思う。
     住みたい町で、ほんとうに居心地のいい、住みたい家に暮らし続けること。それは、ただでさえ難しい、奇跡のようなことだ。地震で家を失って、いま、住みたい場所とは違う場所での生活を強いられている友達のことを、考える。いまのいま、途方に暮れながら、新しい住みかを探している彼女たちのこと。考えていると、旧居の思い出が頭をよぎる。あの無垢材も、結霜硝子も、雪見障子も、私にはとうてい救ってあげられなかったこと。それでも私には、あの家を出る日まで、数か月の猶予があったこと。
     『新しい住みか』を作ったときには、どうして私たち人間は、もっと軽やかに、ほかの動物みたいに、移動しながら暮らせないんだろうと思っていた。でも、動物たちだって、自分で家を作る。その家を、精一杯、住み心地よくしようとする。私だっていま、そんな「家」を自分の手でこれからどう作っていこうか、考えている。そういう「家」が壊れてなくなることが、悲しくないわけがない。ほかの動物だって、悲しくないわけがない。

     昼、昨日の余りの中華風炊き込みごはんと、わかめの味噌汁。
     夕飯、買ってきたアジフライ、かいわれとにんじんの塩もみ、缶ビール、八海山。

  • 2024.2.5

     

     雪が、みぞれになったり、雨になったり、細雪になったり、ぼた雪になったりしながら、降っている。
     午後、縁あって初めて西洋占星術のセッションを受けた。オンラインで一時間。ここ数ヶ月感じてきた私のさまざまな直感はほぼほぼ星の動きと符号していて、ほっとするような、どうにもならなさに打ちのめされるような、無抵抗な気持ちになる。
     夕飯、中華風創作炊き込みご飯(ツナ、にんじん、ねぎ入り)、青ねぎと梅干しの味噌汁、白ワイン。

  • 2024.2.2

     

     午後、梅ヶ丘のカフェでK木さんと打ち合わせ。そのあとTOHOシネマズ新宿で『哀れなるものたち』 観る。ひとりの女が冒険する、ヨーロッパ近代文化史。歴史上のシーンをなぞりながら、だんだん自分の足で歩けるようになってゆくベラ・バクスターを、ときどき覗き穴から見るようなショットが挟まり、監視社会(byフーコー)の匂いが漂う。食欲も性欲も失せる映画なのに、美しさが担保されている。女性の解放史として考えると、うん、これでいいんだと思う。でも、ヨーロッパの現在地はここかあ、と思うと、あまり明るい気持ちにはなれない。救いはあんまりない。ベンヤミンやゴダールが考えてきたことの系譜を辿った映画だと思う。でも、フェミニズムってほんとにこれでいいのかなあ。男性の生きる姿の見苦しさ、息苦しさ、あほらしさの描かれかたとしては、『イニシェリン島の精霊』にも通じるところがある。人間(Man)が神になりかわって、観念的に構築してきた近代の、観念そのものの貧しさ(Poor Things)。ベラがどんなに賢くなっても、コミュニケーションは永遠に成立しない。
     夜、舞台『未来少年コナン』の情報解禁。いろんなひとから、お祝いの連絡をもらう。

  • 2024.1.28

     

     いつのまにか、寒さが本気をだしてきている。この四日ほど部屋に引き籠もって、原稿とじたばた格闘していた。その原稿に区切りがついて、清々しい気持ちで缶ビールをあけた。
     夕飯は高山なおみさんの自炊レシピで、ハッピー豆と大根と白菜とハーブソーセージの洋風スープ、半干し大根のハリハリ漬け。先日のユーバランスで大ファンになってしまった小田朋美さんの音楽をかけながら、ゆっくり作って食べる。
     今年のいろんな旅が始まるのを、いまはじっと待ちながら、日々の原稿をして、読むものを読んで、暮らしている。国産レモンは塩レモンになって発酵中。持っているニコンのカメラを今年はもっと使おうと思って、新しい帆布製のストラップと、光が淡く穏やかになるカメラフィルターを買った。旅の事始めは、来月の尾道になりそう。三月は札幌。パンデミックでずるずると延期になっていた合唱組曲『新しい住みか』の発表を、やっとやっと聴けるのが、とても楽しみ。

  • 2024.1.22

     

     昨日は渋谷で、葛西さんのイベント〈ユーバランス〉に出演する日だった。私たち、詩的な食卓の出番は開場してすぐの15時20分からで、30分の出番のあいだ、小さな空間に詰まった観客のかたがみんな集中して聴いてくださって、頼もしかった。最後に一曲だけ歌を歌った。朗読ではぜんぜん緊張しないのに、歌うのはとても緊張した。ゴンドウトモヒコさんのソロや、蓮沼執太くんのunpeopleや、音無史哉さんとカニササレアヤコさんの笙の世界から繋がってゆく小田朋美さんの歌声、それらの隙間をうろうろしているチェルフィッチュの俳優たち。ロビーの角でずっと楽曲制作している三浦康嗣さんの歌声がときどき響く。あっちこっちの開いた扉から、向こう側の音が漏れ聞こえて、ライブハウス全体が普通のライブではありえないことになっていて、自由で、雑多で、なかなかに体力は必要だったけれど、愉しい空間だった。イベントが終わると、私は日曜日の渋谷の人波を掻き分けてぴゅーっと帰ってきた。お夜食に梅干しひとつと、かけうどん(わかめ、とろろ昆布、ごま、干し柚子のせ)つくって食べる。
     きょうは午後、ユキさんが誘ってくれていたストレッチの会。疲れが溜まっているはずなのに、私はこの冬、まだ風邪を引いていない。思えばコロナにも一度も罹っていない。ここ四年くらい風邪を引いていない。偉い。夕飯はぶりかまのぶり大根、白ごはん、あおさ入り納豆、梅干し、ビール。スーパーの根野菜や国産レモンが安くて、嬉しくてたくさん買いこんできた。

  • 椿と、さんにょもんと、うみねこへ

     

    椿と、さんにょもんと、うみねこへ

    みんな、元気でいますか。
    1月16日火曜日、私たちは集まって
    「あいの風」を歌いました。
    珠洲のこと、能登のことを思って、歌いました。

    みんなを主人公にした「さいはての朗読劇」を
    ともに作ってきた阿部海太郎さん、長塚圭史さん、
    常盤貴子さん、北村有起哉さんが
    呼びかけ人となってくださいました。

    「あいの風」は、
    石川の民謡「臼摺り歌」のすばらしいメロディに
    新しい歌詞をつけて歌った、
    「さいはての朗読劇」のメインテーマです。
    よかったら、みんなで聴いてください。

    「あいの風」

    ハア ゴッキンサー ゴッキンサー
    ハア あいの風吹いた へちまのすきま
    いいひとあのひと つれてきたヨ

    ハア あいの風呼んだ 波間のいるか
    内浦 外浦 また会う日まで

    ハア すずの風鳴った ちりーんと鳴った
    帰ってきたきた さんにょもんさんヨ

    ハア すずの風舞った 夢まで舞った
    うつわもけものも 遊びましょうか
    ねむっていないで 遊びましょうか

    ハア ゴッキンサー ゴッキンサー

    https://www.youtube.com/watch?v=_C1iZwJnZvY
    再生されない場合はこちらから

    『あいの風』
    曲:石川県民謡(臼摺唄)
    詞:大崎清夏
    編曲:阿部海太郎
    <唄>(五十音順) 赤松絵利 赤間直幸 阿部海太郎 板倉タクマ 市井まゆ 伊東龍彦 伊藤豊 大崎清夏 岡野昌代 北村有起哉 鈴木泰人 常盤貴子 仲間由紀恵 長塚圭史 南条嘉毅 山添賀容子 吉村結子
    撮影・編集 中島祥太
    録音 伊藤豊
    撮影日 2024.1.16

    『あいの風』は、2022、23年にスズ・シアター・ミュージアム(珠洲市)で上演された「さいはての朗読劇」の劇中歌として唄われました。 出典元の民謡・臼摺唄の朗々たる旋律は、能登地方の豊かな風土と、そこに暮らす優しい人々によって大切に育まれてきました。 石川に残る民謡の中でもとりわけ美しいこの旋律に、東京から能登へ「あいの風」の想いを乗せて、「さいはての朗読劇」の関係者みんなで唄いました。
    *あいの風……春から夏にかけて吹く東風のこと

  • 2024.1.18

     

     きょうは木曜日。先週の土曜日は京都芸術大学の外苑前キャンパスで特別講義(という名の、主にアートライティングコースの学生さんたちを聞き手として想定した、みんな書くのって大変だよねっていうおはなし会)、日曜日は横浜市民ギャラリーで言葉と遊ぶワークショップだった。土曜の夜、キャンパスを出ると雪が束の間降っていた。日曜は、帰り道を歩きだしたところへ迎えのタクシーみたいなタイミングで来たバスに乗れた。会はどちらもたくさんのかたが集まってくださった。
     月曜日は午前10時から文化放送のラジオ番組の生放送で、芸人のアルコ&ピースの平子さんと、アナウンサーの坂口愛美さんと、30分お喋りした。ラジオに出るのが、出るたびに好きになる。声ってやっぱり楽しいなと思う。平子さんが私の詩を、どっぷり色をつけた声で読んでくださって、圧倒された。プロってすごい。出演後にかかった曲が折坂悠太の「坂道」で嬉しかった。でも9時半入りの予定だったのに、乗る電車を一本間違えて、20分も遅刻してしまった。冷や汗であった。ごめんなさい。
     ラジオ局を出たらとてもよく晴れていて、真昼で、そこは浜松町で、でもなんだか東京の街に繰りだす気持ちにはならなくて、すぐ電車に乗って家に帰った。翌日も夕方から大切な用事のために電車に乗って東京へ出てその晩はOさん宅に泊めていただき、水曜日は一緒に泊まったかよちゃんと武蔵小山の商店街のおいしい天ぷらの店でお昼にして、午後はまた外苑前に行って、来月にはギリシャに旅立つまりちゃん一家に会った。懐かしい再会がたてこんで、怒濤のような一週間だった。ふと我に返ると使いかけの野菜や常備菜が痛んでいて、それらを捨てた冷蔵庫はからっぽ。ちょっと奮発して買ったせっかくの日めくりカレンダーが、9日のまま止まっている。

  • 2024.1.9-10

     

     大学の後期火曜クラスの最終授業の日。帰ってきて郵便受けを見たら、年賀状の返事が2通来ていて、どちらも南伊豆からだった。夕飯を作って食べたところで、かのちゃんから連絡がきて、小1時間ほど電話で話した。地震以来初めて、かのちゃんの声を聞いて、私はとてもとてもほっとして、涙が出た。電話を切ったら、朗読劇仲間のグループラインに今度集まるための連絡が飛び交っていて、元気が出た。
     元日から一週間、たくさんの友達や仲間と文字のやりとりをしたけれど、誰とも声で会話していなかった。ちょっと危機を感じたから、8日にK磯さんに電話して、だらだら喋った。だらだら喋る相手がいてくれて、ほんとうに助かった。K磯さんはイギリス留学中にパンデミックが直撃して誰とも会えなくなり、その頃、何度か電話をくれたことがあった。どんな孤独をそのときK磯さんが味わっていたかなんて知る由もないけれど、あのときちゃんと私を頼ってくれてよかったなあと、電話をかけながらしみじみと私は思った。
     私たちは生きている。生きて、次に会う予定を立てたり、予定は立たずともその日を願ったりしながら、いろんな言葉で、つながりあっている。たぶんそれぞれに矜恃や指針があって、こういうときに頼りにしている言葉がある。その言葉自体は、きっと思想によって違いすぎて、まっすぐにわかりあえなかったり、反発を生んだりすることさえある(私は3.11のときどうしても「がんばろう」という言葉を使えなかった)。でもその言葉を言いたくなる気持ちの根っこにあるものは、きっとどんな思想や考えかたをもった人だって、誰でもそんなに違わないんじゃないか、とも薄々思う。
     この一週間、折坂悠太の『針の穴』という曲を散歩のお伴にしていた。「いま私が生きることは/針の穴を通すようなこと」「いま私が歌うことは/針の穴を通すようなこと」「稲光に笑ってたい/針の穴を通すようなことでも」。三が日にこの曲を知って初めて聴いたとき、号泣してしまった。こういう詩を力強く歌ってくれるひとがいること。この一週間、そのこと自体が私の栄養で、力だった。
     きっとこれからも何度だって山は崩れ、家は潰れ、ビルは倒れ、地面は裂け、愛した町や歩いた道がめちゃめちゃになるのを私は見るだろう。戦争だってきっといつまでもなくならないだろう。言葉に拘泥したままで、言葉に拘泥しているから、私が出会えたひとがいて、私に見えている世界がある、そのことに、私はきっちり絶望して、稲光に笑ってたい。泣いてしまうけど、泣いてしまっても。そんなことを考えながら、3.11の頃の自分が何を考えていたのかふと気になって、昔のブログを読み返した。そしたら、いちばん大事なことを、12年前の私が教えてくれた

  • 2024.1.6

     散歩を午前中にした。歩いていても海を目の前にしてもモヤモヤ考えてしまうことがあって、いつになったら私はこれを手放せるのだろうと思う。もっと動いて人に会ったりしたほうがよいことはわかっているけれど、いまは難しい。空気は暖かすぎるほど暖かい。帰ってきて、来週の仕事の準備をちょこちょこ進めるつもりだったけれど、何もする気が起きない。
     夕飯、小豆いり玄米ごはん、梅干し、菜の花とかぶとハムのオリーブオイル炒め、菜の花辛子和え、赤ワイン。
     デザートにクランチホワイトチョコレートを食べて、もうすこし赤ワインを飲む。
     昨日は最寄りの映画館でヴィム・ヴェンダースの「パーフェクト・デイズ」を観た。すんばらしい映画だった。本と、音楽と、ちょっとした趣味と、銭湯と、行きつけの飲み屋と、好きな人と、お弁当を食べる場所と、木漏れ日。それだけあれば、人間は自由に生きられる。ほんとうにそう思う。もっとこの孤独を愛せるはずだ、と去年のいつか思ったことを、また思った。そして、次に引っ越すときはやっぱり和室のある部屋がいいし、ベッドを手放してお布団にしてみたいと思った。それにしても、ヴェンダースは生まれかわったら公共の仕事がしたいんだろうか。写真の現像屋さんの配役に、にやにやが止まらなかった。

  • 2024.1.1

     大晦日はSちゃんとKちゃんがうちに来て、一緒に年越しそばを食べた。何度か雨が降って、生ぬるいような暖かさだった。真夜中、近所のお稲荷さんへ初詣にいった。湘南に暮らしてもう丸8年になるのに、近所の神社で初詣するのは今回が初めて。ひとりだと真夜中の散歩も億劫でなかなかできないので、私はうれしい。なんだか焦って、たくさんお願いごとを盛ってしまった。境内は地元の人たちで賑わっていて、破魔矢や熊手や、お汁粉やたこやきの出店も出ていた。Sちゃんたちは甘酒を買って、帰り道を飲みながら歩いた。私はすこしだけお相伴にあずかった。

     午後、初日の入りでも見るかと思って散歩に出た。海辺で、少し離れたところから「震度六だって」という若者の声が聞こえて、とくに気にも留めずに帰ってきてSNSを見たら、珠洲が大変なことになっていた。こういうとき、あまりむやみに安否確認の連絡をしないほうがいいと分かっていたけれど、どうしてもかのちゃんにだけは連絡せずにいられなかった。小学校に避難して無事との連絡をもらって、ほーっと息をついた。
     だめだ、まず自分が落ち着くべきだと思って、お雑煮とほうれん草の酢味噌和えを作って食べた。いろんなところから、新年の挨拶もすっとばしてお互いを気遣うやりとりが飛んできて、ありがたかった。ぺろを揉みながらその連絡をやりとりしているうちに、ゆっくり気持ちが静まってきた。だけど避難しているひとたちは、静まるどころではないと思う。
     元日は私の母方の祖父の命日で、まだ祖母の家でお正月を迎えていた頃、よくそのことを親戚どうしでネタにしたものだった。「ミツオさんはお祭り男だったからね」「みんなが集まる日じゃなきゃ嫌だったんだね」と。2024年のきょうをそんなふうに笑ってネタにできる日が来ることを、いま考えるのは時期尚早だと思いつつも、考える。そうやって混線した回路から、実際きょうがミツオさんの命日であることを思いだしているわけで、やるな、ミツオ、と思う。

  • 2023.12.27

     午前中、郵便局と花屋へ行く。郵便局では年賀切手。花屋では、正月飾りの雰囲気が出そうなオージープランツと、ムレスズメの小さな株と、ろうそくをひとつ買った。そうです、ムレスズメは名前にひかれて買ったんですよ。そのうち花が咲くかなあ。帰ってきて、昨晩書いた年賀状に切手を貼った。切手を貼るという行為が好きだ。切手を貼る詩を私は書いた方がいい。
     昨日、舞台関係の大きな仕事がひと区切りついたので、やや景気がいい。午後、原稿をひとつ仕上げて送り、晩ごはんはピェンロー鍋を作ることにした。買いものに出かけるついでに年賀状を出して、スタバに行ってすこし読書。そのあいだに新しい依頼のメールが来ていて、ああ、私は来年もこんなふうに仕事していくのかな……。そうできたらいい。たぶん私は、私にとって最もちょうどいい仕事のしかたを、これからもひたすら発掘し死守して生きていく。とりあえずいまは、それだけでもいい。でも、満ち足りて孤独なだけではなくて、繋がって平和にもなりたい。そのための準備を、来年はできたらいいなと思う。まずは年明けすぐにやってくる怒濤の忙しさを乗り越えてから……。
     イスラエルがガザをめちゃくちゃにしていることに対して、出資している企業の一覧のなかにスタバが入っている。きょう私はそのことが気になりながらも平然とスタバに行ったけど、それとはまったく別の、もうすこし長期的かつ個人的な文脈において、コーヒーを少し減らしてもっと紅茶と緑茶と抹茶を飲もうかなという気持ちになっている。茶筅を入手しようしようと思いながら、まだ入手できずにいる。
     ピェンロー鍋は、戻した干し椎茸の出汁に水を足して、白菜と豚をいれて、戻した春雨をいれて、そこにごま油だけを垂らして、ぐつぐつしていく鍋。余っていたきくらげも入れた。お椀に一味唐辛子と塩をいれて、そこによそって食べる。めちゃくちゃうまい。私はピェンロー鍋をもっと頻繁に作ったほうがいい。

  • 2023.12.24

     朝、いつどこで入手したのかも忘れてしまった、毛玉だらけのルームソックスを出してきてはく。ふだんあまり聴かないラジオをつけたら、〈名演奏ライブラリー〉でサヴァリッシュというドイツの指揮者を紹介していくつかのオペラの序曲を流していて、ちょっとわけあってオペラを学びたくなっている私は、しばらく聴いた。Hからぺろへのクリスマスプレゼントが届いて、それは固い筒状の紙ときらきら光る銀色のはたきのセットと、フリーズドライささみ(大)だった。メリークリスマス!とぺろに言って、しばらく遊んだ。慎重派のぺろは、なかなかその紙のトンネルに入らない。
     昼、小松菜いり味噌ラーメン。ささみのオイル漬けを作る。
     昼過ぎに仕事が一段落したので、イタリア文学研究者の渡辺由利子さんがすこし前に贈ってくださった『ふたりの世界の重なるところ ジネヴラとジョルジョと友人たち』(月曜社)を読んだ。読み始めたら面白くて、三分の一くらい一気読みしてしまった。直近の仕事のために焦って読むのではない、自分のための読書が久しぶりで、うきうきする。
     こういう日には、本を読まないひとは、どんなふうに一日を過ごすのだろう。昼寝をしたり、煙草を吸ったり、お菓子を作ったりするのだろうか。話し相手がいれば、コーヒーやお茶をいれるのかもしれない。出かけていって、誰かに会うのかもしれない。こういう日に、読む本があることは、私をじゅうぶん孤独にしたまま、私をじゅうぶん満たしてしまう。きょうは寒いし、それでいいか、と思う。

  • 2023.12.23

     朝、コーヒー、おじや(小豆いり玄米ごはん、油揚げ、卵)。
     午前中、使っていない手拭いを裂いて、刺し子糸で縁取ってコースターを作った。日射しがうなじに当たって気持ちいい。
     昼下がりまで、一昨日の続きの年末しめきりの原稿。冬至が明けたので、少し気持ちが明るい。晴れていて風もなく、三時半から一時間、海まで散歩。
     夜は鶏手羽元とにんじんと紫玉ねぎの塩スープ、小松菜の中華風炒め、小豆いり玄米ごはん、ビール。

  • 2023.12.21

     朝、コーヒー、小豆いり玄米ごはん、にんじんと油揚げとゆで卵の味噌汁。味噌汁に、オリーブオイルをすこし垂らして胡椒を振った(洋風になっておいしい)。秋に玄米をもらってから、まだうまく炊けないことも多いけれど、玄米を食べるのが愉しい。
     午前中、静岡に送る荷物の集荷に来てもらう。次の移動を見越して、本も書類ももうすこし減らしたいのだけれど、なかなかうまくいかない。
     午後、蓮沼くんからひさびさに電話あり。そのほかは、一日じゅう原稿を書く。

  • 2023.12.15

     黒沢美香さんが生きていた頃、彼女のダンス公演のチラシによく「怠惰にかけては勤勉な黒沢美香のソロダンス」という冠文句が書かれていて、好きだった。けさ、いまの自分の状態を身体の内側を点検する感じで探っていたとき、「怠惰にかけては勤勉な」が転がり出てきて、あーあったあった、そうそうこれこれ、となっていた。
     綱島のスタジオで初めて黒沢美香さんにお会いしたとき、あまりダンサーに見えなくて、おもしろいことだなあと思ったのを憶えている。ほら、バレリーナとかって準備する所作からもうバレリーナだったりする、ああいうのとは全然ちがった。生活者、という感じがした。動きの芯が太くて、どっしりして見えるのに軽そうで、私の知ってる美しさとは違って、なのに筋が通っていて、美しかった。自分の暮らしを、まっすぐやってるひと。暮らしとダンスの境い目のないひと。そのひとが踊る『薔薇の人』というダンスをみて、詩を書いた。「私は朝日が眩しくて……」という、折り紙をえんえん折る詩だった。
     あの日からずいぶん時間が経ったけど、「怠惰にかけては勤勉な」は私のなかにいまでもフリーズドライの保存食のようにストックされていて、こういう、ほんとうに何でもない日に棚から出てくる。よくわからない気温が乱高下を続けても、確実に日が短くなっていることで私は冬を感知していて、今年は冬至までどうやりすごそうか、考えている。

  • 2023.10.27

    さいきん、ふるい文芸誌を破壊しながら読むのにはまってしまっている。きょうは群像の2020年6月号を破壊した。
    いま暮らしている部屋にもってきた文芸誌が、二冊だけあった。どちらも群像で、翻訳小説の特集と、論の遠近法という特集。カッターでばらばらにして、何度も読み返したい部分だけ残して輪ゴムでとめる。もともとは本棚の空きスペースをなんとか確保したくてやむにやまれずやったことだったけれど、やっているうちに手で読む感じがたのしくなってしまった。
    こういう作業で、読もうと思って読んだのではない文章が突然目に入ってきて、ひらけてくる思考があるのもいい。それが、自分が書くことにどう繋がってるかわからないけど、わからなくてもいい。ただただ、風通しがよくなる感じ。
    かなり前に、歌手の一青窈さんがテレビ番組で、自分の創作のための作業として本を破壊して読んでいるという話をして、スクラップブックにカッターで切り取ったページや表紙をわさわさ挟んでいるのを見せていて、そのなかに私の詩集の表紙が入っているのが一瞬映って、びっくりしたことがあった。雑誌を解体していたら、そのことを思いだした。



    きょうは一歩も外に出ていない。一歩も外に出ないまま、一日が終わろうとしている。出かける用事がない日でも、基本的には散歩か買い出しで外に出るから、こういうのは珍しい。ぺろといちゃいちゃして、マカロニサラダを作って全粒粉クッキーを焼いて、雑誌を解体して、缶ビールを飲んで、一日が終わってゆこうとしている。たまにはいいか。

    来週、たのしみな旅に出る。
    車の免許を取っていなかったら、思いつきもしなかったような旅。詩をかく主人がやっている宿に泊まる旅。初めてちゃんと東北に分け入る旅。わくわくする。

    ことし、七月に車の免許を取った。いろんな理由があった。すこしまとまったおかねが急に入ったこと。夏の予定がぽっかり空いていたこと。この二年くらいのあいだで出会った魅力的なひとびとが、みんな、車の運転が上手かったこと。
    必要に迫られて取ったわけではなくて、直感の言い分に従っただけだった。ムーミンママが「いますぐピクニックに出かけないと、何が起こるかわかったもんじゃないわ!」って言ったみたいに、「この夏免許を取らないと、……!」と、なぜか思ったのだった。
    運転できないままでも、それならそれで、たぶん私の人生はわりと円滑に進んでいっただろうと思う。いまも、日常的に車が必要な場面はとくにない。でも、取ってしまった。取れてしまった。友達に車の話をもちだすと、みんながいろんな話をしてくれた。合宿先の自動車学校のごはんがすごくまずかった話。初めて車で出勤した日、汗びっしょりになった話。ETCのしくみがよくわかっていなくて、高い罰金を支払った話。高速道路のなかでも中央自動車道はイイという話。免許を取った直後に事故を起こしてそれっきり乗らなくなった話。
    こうして改めて思いだしてみると、やっぱり運転ってこわいなあと思う話のほうが多い。
    でも能登で、初めてひとりで路上を運転した。めちゃくちゃたのしかった。運転しながら「Hey Siri, なんか音楽かけて」と言ったら、SiriがSpotifyのお気に入りの音楽を再生してくれた。レンタカー屋さんに車を返す前の日の夜、セルフではないガソリンスタンドに入って、出てきたおじさんに「ガソリンスタンド、初めてです!」と言った。セルフじゃなくてよかった、もしセルフだったら借りた軽自動車に軽油を入れてしまうところだった。「軽」自動車だからって軽油をいれるわけではないんですね。おじさんが「じゃあ、レギュラー満タンね!」と言ってくれて、私は「はい!」と言った。

  • 2023.10.01

    すず、五日目。
    宝湯別館を早朝にチェックアウトして、完成したばかりのスズ・シアター・ミュージアム分館へ。午前中いっぱいかけて、採話と連詩ワークショップをした。美術家の南条嘉毅さんの企画で、私は講師役。ゲストに海太郎さんと川村清志先生も来てくださる。三人の語り部さんに協力を募って、民具としてミュージアムに寄贈された瓦型やラジオ、形見のレインコートをその場に置いて、物語りをしてもらった。
    お昼は〈若山の庄〉で牛すじカレー(安くて美味しい!)。食べ終えるとすぐ、珠洲焼応援団主催のゴスペルコンサートへ駆けつけた。夕方の飛行機に乗る海太郎さんとここで別れて、私は作家宿舎に入り、あみだ湯までてくてく歩いていった。帰りもてくてく歩いていると、通りかかったK野ちゃんが車に乗せてくれた。珠洲ではこういうことがよく起こる。
    夜は〈かつら寿司〉と〈やぶ椿〉、大好きな二軒のお店をはしごして、川村先生の共同研究チームと、昨晩夜中までバラし作業に追われていた制作チームと打ち上げ。私は酔っぱらってしまって、やぶ椿の座敷で壁にもたれてうたたねした。気まぐれに頼んだおろし醤油うどんがとてもおいしくて、でも全部食べきれなくて、みんなに回して食べてもらった。そしてみんなよりすこし早く中座して、ひとりでふらふら宿に戻って眠った(照明の岡野さんが、大崎さんがいつのまにかいなくなってる!と思ったと後になって言っていた)。

  • 2023.09.30

    すず、四日目。
    朝、見附島まで散歩した。それから、もうすっかり道連れ感の出てきた赤いかわいい車を運転して若山の山道を走り、鈴木泰人さんの展示をみにいった。「音蔵庫」という名前の、とてもいい作品だった。鈴木さんはゆったりと在廊していて、質問するとなんでも丁寧に答えてくれた。同じ小学校の校舎内で展示されていた、さまざまな服の布を使って作られた器の展示も良かった。
    お昼は木の浦のcafe coveへ行ってみた(大谷と木の浦はどちらも外浦で近いと思っていたけど、自分で運転してみるとけっこう遠かった)。約束していたわけじゃなかったけれど、今回の作品の取材に協力してくれたY恵ちゃんに会えた。別の席で食べていた女性が、プレトークでみた私の顔を憶えていて、帰り際に声をかけてくださった。こういうことはこれまで海外でしか起こったことがなかったから、とても嬉しかった。ひとりで外浦沿いをドライブして、アレクサンドル・ポノマリョフさんの作品と弓指寛治さんの作品も見た。車はいけない乗りものだと思った。こんなにどこまでも行けてしまって。こんなに人間を甘やかす乗りものがあっていいのか。

    公民館に着くと雨が降りだした。悪天候のなか、たくさんのひとが朗読劇を見にきてくださった。大きな時間を行き来する物語を支えてくれた10代の女性たちと、椿の木としてどっしり構えて根付いてくださった常盤貴子さんのパフォーマンスに驚いているうちに、あっというまに終幕になった。潮騒レストランで打ち上げ。お酒を飲んで、帰りは衣装メイクチームに送ってもらった。

  • 2023.09.29

    すず、三日目。
    午前中の空き時間に、マリア・フェルナンダ・カルドーゾというコロンビア出身のアーティストの作品を見て、それから『うつつ・ふる・すず』プレトークのために〈さいはてのキャバレー〉に向かった。キャバレーも地震で地盤が陥没したと聞いて心配していたけど、きれいに直っていてほっとした。
    よく晴れて気持ちよかった。キャバレーの楽屋の裏口を出るとすぐ内浦の海があって、プレトークが始まるまで、そこでほーっとした。私がひとりで日なたぼっこしているのを見つけて、いつのまにかチームのみんなが集まってきた。昨日お風呂に入る時間がなくて、きょうも入れるか怪しいという話をしたら、芸術祭チームのO石さんが「大崎さん、もう今日から車借りちゃいましょうよ(意=そうすれば誰かに送ってもらう必要がなくなってフレキシブルに動け、いろいろと丸く収まりますぞ)」と言うので、本当は明日から借りるつもりだったけれど、そうすることにした。プレトークが終わるとすぐ、S上さんがレンタカー屋さんまで送ってくれて、三菱の赤いかわいい軽自動車を借りた。手続きらしい手続きは免許証のコピーをとられたくらいで、これでいいの!?と思った(けど、芸術祭チームご用足しの店で、お店の人もいいひとで安心だった)。
     ラポルトすずの駐車場に車を停めて、いろは書店のカフェでサンドイッチとコーヒーの昼ごはんにして、ホビーつぼのにまた寄った。「私もお風呂入ってないんですよね」と言うK野ちゃんを助手席に乗せて、なんだかうれしい気持ちになりながら、宝立までひとっ風呂浴びに行った。飯田町でK野ちゃんを降ろして、そこからひとりで大谷へ向かった。あんなに躊躇していた車の運転は、思ったより愉快だった。自分のiPhoneを車の画面に繋げて、Googleマップを画面に映してカーナビ代わりにできる機能がとてもべんりだった。途中でSiriに「なんか音楽かけて」と頼むと、いい感じの音楽をかけてくれた。国道249号線を走って、大谷峠をこえて、大谷の公民館まで行った。公民館の駐車場に車をとめたときの達成感! 大人になって、こんなふうに、まだ味わったことのない達成感を味わうとは思わなかった。

    夜、初演。上演前のぽっかりした時間に外に出ると、大きな満月が東の森の向こうに見えた。中秋の名月だった。すこし肌寒かったけれど、月を見ながら外浦に面した外の席でお弁当を食べた。シアターミュージアムは満席だった。朗読劇が終わる頃、私の座った席からも、泣いているひとの顔が見えた。海太郎さんと長塚圭史さんとのアフタートークで、「そういえば、いま初めて言うんですけど、樹木を主人公にした作品を書きたいとずっと思ってたんです」と私は言った。珠洲がそれを、いつのまにか実現させてくれていたのだった。

  • 2023.09.28

    すず、二日目。
    午前中、行ってみたいと思ったままずっと行けずにいたギャラリー「舟あそび」に伺えることになった。ギャラリーのご主人の舟見有香さんと、珠洲焼作家の篠原敬さんに挨拶して、珠洲焼の作品を見せていただいたりしながら、すこし話した。舟見さんは、客人がいま何をしようとしているかすぐに察知して助ける能力をもつ、とても素敵なひとだった。篠原さんには、私はへんな質問をたくさんしたのに、そのぜんぶに篠原さんは真摯に答えてくださった。今年に入ってから、私は急に茶や焼きものの世界が気になりだし、それは惹かれるというよりどちらかというと嫉妬するような感じに近かった。人間の作ったものが、人間の作ったものなのに、言葉なしで平然とそこにあることに、納得がいかないような気持ちになっていた。そうして受けた衝撃をそのまま吐きだすみたいに私は喋ってしまったのに、篠原さんは「言葉は使いますよ、ひとに伝えるためでなく、自分に返すために」と優しく話してくださった。
    それから篠原さんの窯とアトリエを見学しに行った。五月の地震のあとに再建が始まった煉瓦作りの窯は、まだ完成していないのに、威厳を深く深くたたえていた。手で触れられていないところがどこにもなかった。私は言葉が出なかった。

    町中華の店でタンメンのお昼を食べたあと、作家宿舎へ送ってもらって伊藤さんの作るSE(夜の繁華街の雑踏の音)に協力して(飲み屋の呼び込み役)、そのまますこし昼寝した。 ぐずぐずしていた天気が午後からやっと晴れだして、商店街の坪野さんの店に買いものしに行ったら、コーヒーとチョコレートをご馳走になってしまった。買ったのは、この冬やろうと思っている刺し子のための道具。六月に取材させていただいた銀座美容室にも寄った。一見ひっそりして見えても実は元気な町で、みんな自分の仕事をしている。

    夜はプレビュー公演。今回初めて台詞を読む高校生たち、飲み込みが早くて頼もしい。帰りはO垣さんが送ってくださる。

  • 2023.09.27

    すず、一日目。
    羽田からの午前便で、今年三度目ののと里山空港に降りた。空港にはS上さんが迎えにきてくれた。
    宿に荷物を置いて、宿の明るい部屋ですこし仕事をした。海太郎さんに偶然会えたので、レンタカーに同乗してシアター・ミュージアムへ行くことになった。初心者マークを握りしめて珠洲にきた私に、海太郎さんは道の途中で「運転しますか」と促して交代してくださり、私は震えながらハンドルを握って、カーブの多い峠道をすこしだけ運転させてもらった。坂道に差し掛かると、スピードコントロールが覚束ない私の隣から海太郎さんがギアチェンジしてくださり、私は笑ってしまいつつ感謝。
    椿茶屋でふたりでお昼を食べていたら、約束していたわけでもないのに朗読劇チームの面々が続々と集まってきた。誰かが、これは集合写真撮ったほうがいいんじゃない!?と言いだして、わいわい撮影会が始まった。たまたま居合わせた若者が、機転をきかせて撮影係になってくれた。どこからか色紙が現れ、常盤貴子さんと長塚圭史さんと海太郎さんと私の四人でサインを書いた。それから今回の舞台のイメージ元になったひみつの場所(おはなしのなかで、椿の木が立っている設定の場所)まで、常盤さんを案内した。私はどきどきしながらも、高校生のとき『愛していると言ってくれ』を観て手話点字同好会を立ち上げたことや、常盤さんがカバーガールになっている雑誌の『KIMONO姫』をいまでも大事に持っていることを、打ち明けてしまった。

    雨が降ったりやんだりするなか、テクニカルミーティングが始まり、稽古が始まり、夜が更けるまでいろんな調整が続いた。休憩のとき、ふらふらと外に出たら、外浦の沖にイカ釣り船の漁火が見えた。働く光。人間の光だった。

    帰りは楓くんが宿まで送ってくれた。去年も全力でサポートしてくれていたのに今年になってその名前をちゃんと憶えた岐阜生まれの楓くん。車を運転しながら、家族としっかり根を張って珠洲に生きようとしている楓くんは、どんなふうにして珠洲まで辿り着いたか話してくれた。

  • 2023.08.21

    Twitterをやめたあと、わりと直後にThreadsを始めてしまって、あんなに覚悟してやめたのに何だったんだろう、引っ越しただけじゃんかと自分で自分につっこんでいる。でもThreadsには企業がやっている公式メディアがまだほとんどいないのがいいなと思う、落ち着いてぼんやり読み書きできる。日記の手前の備忘録のようなものに、いまのところなっている。宣伝もしてみている。
    うつつ・ふる・すず」のチケットが午前9時から発売されて、どれどれとPeatixを覗いてみたら、二時間も経たないうちに完売していた。ひゃ〜と思う、たいへんなことだと思う、これは。去年はスタッフのみんなが一所懸命チケットを売りさばいてくれて、観たひとが口コミで広めてくれて、朗読劇は「珠洲の夜の夢」というタイトルで、ほんとうに夢のように、毎回いつのまにか満席になった。仕込みからバラしまで、体験したことのない愉しさに毎日地に足がつかないような感じになっていて、帰りの飛行機を降りたとき、いま夢から醒めるのだ、きっと何かわるいことが起きるはずだ、家に帰るまで気を引き締めて歩かなくてはと思ったのを憶えている。今年はどんなことになるのだろう。否が応でも、ひと月後にやってくる珠洲の日々のことを考えてしまう。たのしみなような、恐ろしいような。