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さいきん、ふるい文芸誌を破壊しながら読むのにはまってしまっている。きょうは群像の2020年6月号を破壊した。
いま暮らしている部屋にもってきた文芸誌が、二冊だけあった。どちらも群像で、翻訳小説の特集と、論の遠近法という特集。カッターでばらばらにして、何度も読み返したい部分だけ残して輪ゴムでとめる。もともとは本棚の空きスペースをなんとか確保したくてやむにやまれずやったことだったけれど、やっているうちに手で読む感じがたのしくなってしまった。
こういう作業で、読もうと思って読んだのではない文章が突然目に入ってきて、ひらけてくる思考があるのもいい。それが、自分が書くことにどう繋がってるかわからないけど、わからなくてもいい。ただただ、風通しがよくなる感じ。
かなり前に、歌手の一青窈さんがテレビ番組で、自分の創作のための作業として本を破壊して読んでいるという話をして、スクラップブックにカッターで切り取ったページや表紙をわさわさ挟んでいるのを見せていて、そのなかに私の詩集の表紙が入っているのが一瞬映って、びっくりしたことがあった。雑誌を解体していたら、そのことを思いだした。



きょうは一歩も外に出ていない。一歩も外に出ないまま、一日が終わろうとしている。出かける用事がない日でも、基本的には散歩か買い出しで外に出るから、こういうのは珍しい。ぺろといちゃいちゃして、マカロニサラダを作って全粒粉クッキーを焼いて、雑誌を解体して、缶ビールを飲んで、一日が終わってゆこうとしている。たまにはいいか。

来週、たのしみな旅に出る。
車の免許を取っていなかったら、思いつきもしなかったような旅。詩をかく主人がやっている宿に泊まる旅。初めてちゃんと東北に分け入る旅。わくわくする。

ことし、七月に車の免許を取った。いろんな理由があった。すこしまとまったおかねが急に入ったこと。夏の予定がぽっかり空いていたこと。この二年くらいのあいだで出会った魅力的なひとびとが、みんな、車の運転が上手かったこと。
必要に迫られて取ったわけではなくて、直感の言い分に従っただけだった。ムーミンママが「いますぐピクニックに出かけないと、何が起こるかわかったもんじゃないわ!」って言ったみたいに、「この夏免許を取らないと、……!」と、なぜか思ったのだった。
運転できないままでも、それならそれで、たぶん私の人生はわりと円滑に進んでいっただろうと思う。いまも、日常的に車が必要な場面はとくにない。でも、取ってしまった。取れてしまった。友達に車の話をもちだすと、みんながいろんな話をしてくれた。合宿先の自動車学校のごはんがすごくまずかった話。初めて車で出勤した日、汗びっしょりになった話。ETCのしくみがよくわかっていなくて、高い罰金を支払った話。高速道路のなかでも中央自動車道はイイという話。免許を取った直後に事故を起こしてそれっきり乗らなくなった話。
こうして改めて思いだしてみると、やっぱり運転ってこわいなあと思う話のほうが多い。
でも能登で、初めてひとりで路上を運転した。めちゃくちゃたのしかった。運転しながら「Hey Siri, なんか音楽かけて」と言ったら、SiriがSpotifyのお気に入りの音楽を再生してくれた。レンタカー屋さんに車を返す前の日の夜、セルフではないガソリンスタンドに入って、出てきたおじさんに「ガソリンスタンド、初めてです!」と言った。セルフじゃなくてよかった、もしセルフだったら借りた軽自動車に軽油を入れてしまうところだった。「軽」自動車だからって軽油をいれるわけではないんですね。おじさんが「じゃあ、レギュラー満タンね!」と言ってくれて、私は「はい!」と言った。