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 大晦日はSちゃんとKちゃんがうちに来て、一緒に年越しそばを食べた。何度か雨が降って、生ぬるいような暖かさだった。真夜中、近所のお稲荷さんへ初詣にいった。湘南に暮らしてもう丸8年になるのに、近所の神社で初詣するのは今回が初めて。ひとりだと真夜中の散歩も億劫でなかなかできないので、私はうれしい。なんだか焦って、たくさんお願いごとを盛ってしまった。境内は地元の人たちで賑わっていて、破魔矢や熊手や、お汁粉やたこやきの出店も出ていた。Sちゃんたちは甘酒を買って、帰り道を飲みながら歩いた。私はすこしだけお相伴にあずかった。

 午後、初日の入りでも見るかと思って散歩に出た。海辺で、少し離れたところから「震度六だって」という若者の声が聞こえて、とくに気にも留めずに帰ってきてSNSを見たら、珠洲が大変なことになっていた。こういうとき、あまりむやみに安否確認の連絡をしないほうがいいと分かっていたけれど、どうしてもかのちゃんにだけは連絡せずにいられなかった。小学校に避難して無事との連絡をもらって、ほーっと息をついた。
 だめだ、まず自分が落ち着くべきだと思って、お雑煮とほうれん草の酢味噌和えを作って食べた。いろんなところから、新年の挨拶もすっとばしてお互いを気遣うやりとりが飛んできて、ありがたかった。ぺろを揉みながらその連絡をやりとりしているうちに、ゆっくり気持ちが静まってきた。だけど避難しているひとたちは、静まるどころではないと思う。
 元日は私の母方の祖父の命日で、まだ祖母の家でお正月を迎えていた頃、よくそのことを親戚どうしでネタにしたものだった。「ミツオさんはお祭り男だったからね」「みんなが集まる日じゃなきゃ嫌だったんだね」と。2024年のきょうをそんなふうに笑ってネタにできる日が来ることを、いま考えるのは時期尚早だと思いつつも、考える。そうやって混線した回路から、実際きょうがミツオさんの命日であることを思いだしているわけで、やるな、ミツオ、と思う。