満月。満月だけど、雨。
火曜日、縁あって紹介してもらった物件を、海と山の町へ見に行った。ちいさな畑の奥に建つ、ちいさな平屋の小屋だった。畳の居室は明るくて、窓を全開にすると景色はひろびろとして向こうの丘が見え、いい風がぶわっと吹いてきた。大きな窓だ。うれしい窓だ。緑の見える窓だ。こんなのを求めていたんじゃないのか、私は? だけど即決できなかった。水回りや外壁の状態があまり良くなく(それはいまの家主さんが事前に何度も忠告してくれていたことだった、それでもと無理を言って見せてもらったのだった)、細い通路一本挟んだ隣家の近さや、絶対に出るというむかでやゲジゲジの話にも怯んでしまった。帰ってきたら、あんなにつまらないと思っていた築四年の部屋が、すごくいい部屋に思えてきた。じゃあ私はここを出るのをやめるのか? それでいいのか、私よ?
こういうふうに悩むこと自体にたじろいでいる自分には、見覚えがある。新卒採用の就職先を探しながら、自分が何を仕事にしたいのかわからず、なぜ着るのかわからないスーツを毎日着て、もうよくわけがわからなくなっていた頃。私は長くアルバイトしていた出版社でせっかく出してもらった内定を断って、出版の仕事を目指すこと自体を放り出した。ともかくウェブ制作会社に入って、映画の仕事に出会うまでの二年間、「大きな人生の岐路で選ぶ道を間違えた」という感覚がずっとあった。私は二三歳で、自分がどこに向かっているのかよくわからず、二年はひどく長かった。自分にほとほとがっかりして、こんな後悔だけはもう二度と絶対にしないと誓った。物事の進みが順調すぎることに怖くなって投げだしてしまうことを、英語ではセルフ・サボタージュというらしい。その言葉を知ったとき、まさしく当時の私のことだと思った。
緑の見える部屋への憧れは、能登で、珠洲焼きの陶芸作家さんのアトリエの、窓いっぱいに揺れる木々の梢を見たときから始まった。憧れは憧れとして、きっと間違っていない。でも、いまの私に必要な部屋の、いちばん大事な条件は、私の周りにいる素敵な人たちとともに、私自身と彼らのために、機嫌よく仕事できることだ。あの頃といちばん大きく違うのは、そういうふうに心から素敵だと思える仕事仲間が、たくさんいること。
私は私の仕事をしよう、真面目に、誠実に、ひとつずつ。そのために最適な環境を、気長にじっくり考えながら探そう。なんだか長い長い遠回りをして、この結論へ戻ってきたような気がする。
「越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。」(夏目漱石『草枕』より)