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日記 NOTES

  • 2023.05.31

    昨晩ひさしぶりに出かけたクラフトビールの店で友達と何杯も飲んだ疲れが出て、ぼうっとした身体で起きた。朝遅く、雨のなか、最寄りのパン屋へパンを買いに歩いて行った。パンに合う紙パックのカフェオレも買う。午後は来週明治大学でするゲスト講義の資料作り。雨は午後になってあがって、夕方になると私は「茶摘み」の唄を口ずさみながら海まで散歩に出かけた。夕方の散歩はかなり習慣として定着してきて、いい感じ。「茶摘み」は1番の歌詞は絵画的な描写がキマっていて、わーっとひろがった緑のなかにたすきの赤と笠の枯れ色が点描される感じで、色彩が鮮やかで、頭韻もいい感じだけど、2番がいい加減だなあと思う、「摘めよつめつめ摘まねばならぬ」とか。1番と2番の作者は別人かもしれない。夜、弟の作ったラジオドラマがギャラクシー賞優秀賞を受賞した由、吉報届く。

  • 2023.05.08

    山に行きたい。この春はふたつ、低山を歩いた。大磯の駅から神社を経由して登る湘南平と、修禅寺からすこし車で南下して「踊子歩道」を歩く天城峠。どちらも穏やかに晴れた日で、メンバーもそれぞれすてきで、とてもいい山歩きだった。私がいま考えているのは、夏山のことだ。北アルプスか。八ヶ岳か。誰と登るのか。いつ登るのか。考えはじめると止まらなくなる。いつか行きたいと思っていた安達太良山のくろがね小屋が改修工事に入って、二〇二五年までお休みだという。残念すぎる。それでも今年は、東北の山にも登ってみたい。みちのく潮風トレイルも、月山や鳥海山のことも、ちらちらと気になりつづけたまま、未踏のままだ。ソロハイクはほとんどしたことがないけれど、何度か歩いた山なら行けるだろうか。いや、ちょっとしたことで不安になりやすいタイプだから、やっぱり誰かと一緒に行ったほうがいいか……。
    山に持っていく本のことも考えてしまう。天城峠を歩いたあとに『伊豆の踊子』を読み返したら、自分の身体にも入っている伊豆の地名がどんどん出てきて心が躍った。修禅寺から湯島、下田。踊り子が伊豆大島の波浮港出身だったなんて! 昔ながらの温泉街の雰囲気の残る波浮のふ頭で熱々のコロッケを食べたことがある人なら、この情報がどれだけ踊り子の身の上を語るのにふさわしいかわかると思う。
    ヤマケイ文庫の『牧野富太郎と、山』や、いつもは寝室に置いてある『クマにあったらどうするか』も、早くリュックに入れてやりたい。石牟礼道子さんの『椿の海の記』も、ラフカディオ・ハーンの『心』も、山の旅に連れていってもらう出番をじっと待っている気がする。

  • 2022.12.28

    ドラマ「エルピス」最終話。嗚咽するほどの涙が、何度も何度も出てしまう。「なんで殺されなきゃなんないのよ」という浅川(長澤まさみ)の渾身の台詞に、大きなものが込められすぎていて、私は怒っていたんだ、そうだ、当然だよ、怒っていたに決まってるよ、だって……と、あのこともこのことも、生きていくためにとりあえず忘れることにして読み捨ててきた酷いニュース記事の数々と、それらによって呼び起こされた感情を、いくつもいくつも抱きしめるみたいに思いださせてもらった気がした。どのシーンもよかったけれど、浅川が自分の読むべき原稿を読んだあと、怖い顔してスタジオに居並んだ偉いおじさんたちから「逃げてきたー」というシーンがかわいくて、切実で、私もあんな巨大なビルのゲートから逃げてきたことがある気がして、うれしかった。報道(女=浅川=長澤まさみ)が政治(男=斉藤=鈴木亮平)に「流れで抱かれてしまう」関係をいかに脱するかという話でもあったと思う(自分の仕事を果たそうと決めた直後に、浅川は斉藤に振られる)。こんなに揺さぶられるドラマに出会ったのは、「それでも、生きてゆく」以来かなあ。

  • 2022.12.22

    同じイタリア人をファシズムと反ファシズムの二つの意識に引き裂き、対立する思想ゆえに、民衆が隣人を敵視し、あるいは極端な場合には肉親までも敵視し、血で血を洗い、殺戮と報復を繰り返して、その果てに解放を達成したとき、人びとは語るべき事柄を視野いっぱいに持っていた。したがって、一九四五年四月以降、イタリアでは、パルチザン体験の物語と実話がまさに怒濤のように巷間にあふれたのである。この間の事情をカルヴィーノは(略)つぎのように記している。「何人もの玄人の作家の声が夥しい数の素人の著書の氾濫のなかへ呑みこまれてしまった。それらの著書とは、たとえば、きわめて生々しい戦争体験の証言であったり、民衆生活のあからさまな記録であったり、未熟な創作の試みや、素朴な随筆の類いや、他を圧する庶民の雄弁の書であったりした。そしてさまざまな様相を呈するその全体が、良きにつけ悪しきにつけ、イタリア・ネオレアリズモと名づけられるものを形作っていたのだった」。いうなれば、それは《主観性の海》であった。

    河島英昭著『叙事詩の精神 パヴェーゼとダンテ』(岩波書店)
    「カルヴィーノ文学の原点」より
  • 2022.10.11

    「私は思い描く」

    私は思い描く、南へ向かう列車を。
    私は思い描く、あなたの今朝のあくびを。
    私は思い描く、夏のシーツを渡るテントウムシの速度を。
    私は思い描く、清掃業者が鍵を閉めて出ていった部屋の隅に、ゆっくりと舞い落ちる埃を。
    海に降る雨を思い描く。
    テラス席の光を思い描く。
    真夜中の図書館を思い描く。
    私は思い描く、疲れて沖に浮かぶかもめを。
    私は思い描く、空いっぱいに浮かぶ気球を。
    私は思い描く、夕立をやりすごす雀たちを。
    私は思い描く、いますぐ会って抱きしめたいひとを。
    離陸する飛行機を思い描く。
    真昼の空の星座を思い描く。
    群島をむすぶ船の航路を思い描く。
    私は思い描く、映画館の暗闇で流れる見知らぬ誰かの涙を。
     自分だって同じ涙を流しているのに、彼と知りあわないまま別れる贅沢を。
    私は思い描く、古いビルの屋上で誰かが爪弾くギターの音と
     暖かい満月と、手に手に強いお酒を持って語らうひとびとを。
    私は思い描く、ひとびとが帰っていき、ラブソングの転調のように
     夜風が冷たくなる瞬間を。
    知り合いに偶然出くわす都会のある日を思い描く。
    仕事終わりにそのまま飲みにいっちゃう夕方を思い描く。
    着る機会を待っている、着ると嬉しくなる服たちの出番を思い描く。
    私は思い描く、萎れかけの花の、匂いたつ肢体を。
    私は思い描く、庭の草陰にねむる、生きものたちの寝息を。
    私は思い描く、洗いたての濡れた髪、毛先がゆっくり乾く匂いを。
    私は思い描く、まだ訪れたことのない町をーーたとえばダブリンを。
    私は思い描く、打ち捨てられ、緑の苔に包まれてゆく銃と戦車を。
    隣の部屋に住む人の、睡眠時間を思い描く。
    夜のカフェがともす灯りの、確かな明るさを思い描く。
    夜明けの猫たちを思い描く。
    死者の国を思い描く。
    コップ一杯のきれいな水を思い描く。
    私は思い描く、人類最初の戦争が始まった日の前の日を。
    私は思い描く、影になって消えたあなたの始めようとしていた一日を。
    私は思い描く、地上に爆弾の落ちることのないある日を。
    私は思い描く、その日の静けさを。
    私は思い描く、世界中の詩人たちの現在地を。
    私は思い描く、閉館後のショッピングモールを。
    私は思い描く、世界中の本屋さんの今日の売れ行きを。
    私は思い描く、世界中の劇場の舞台袖の歴史を。
    私は思い描く、建物の壁に最初のひび割れが刻まれる瞬間を。
    私は思い描く、夜のどこかで痙攣しているあなたの瞼を。
    氷河期を思い描く。
    橋を思い描く。
    山をひとつ、思い描く。
    私は思い描く、山頂からみえる景色を。
    私は思い描く、青く澄みわたる湖の静寂を。
    私は思い描く、雪渓を吹き上げてくる冷たい風を。
    私は思い描く、陽に照らされて消える朝露の最後のひと雫を。
    私は思い描く、けさのレタスを収穫しにゆくトラックの立てる走行音を。
    私は思い描く、私の靴底が運んだ種からまだ名前のない草花の芽吹くのを。
    体内を巡る血の流れを思い描く。
    理想的な作業机を思い描く。
    夏の美術館の静寂を思い描く。
    いまのいま、どこかで一杯のコーヒーのために沸騰しているお湯の総量を思い描く。
    私は思い描く、人々の口元が顕わになる日を。その日に選ぶ口紅の色、その日最初に話しかける相手を。
    私は思い描く、もう味わうことのできない味を。あの店でたのしく働いていた人々を。
    私は思い描く、逃げのびたあなたの心を。湖を覆う霧が晴れてゆくように、それが静かに晴れてゆくのを。
    私は思い描く、ほんとうの議論を。半導体のように通電する言葉を。
    私は思い描く、ひとりぼっちで踊る歓びを、それから大音量を浴びて誰かとめちゃくちゃに踊る歓びを。
    夏祭りを思い描く。
    打ち上げ花火を思い描く。
    詩を一篇、思い描く。
    私は思い描く、人類の誕生以前から繰り返されてきた夏至の日の日没を。
    私は思い描く、落下する雨粒が一生のうちに目撃する景色のぜんぶを。
    私は思い描く、いつか私が出会い、もう忘れてしまった人の暮らしを。
    私は思い描く、いつかあなたが出会い、まだ忘れられない人の笑った顔を。
    私は思い描く、きのう生まれたものの瞳に、いま映っている光景を。
    私は思い描く、あしたの天気を。

  • 2020.10.10

    もう何年も、政治報道を見るたびに「これ以上ことばを、日本語を、蹂躙しないでくれ」という気分に侵される状態が続いている。きょうは朝日新聞を読んでいた。矛盾ということばが何度もつかわれている記事だった。その記事の書き手の意見はこうだった。「首相の説明は矛盾をはらんでいるようにも聞こえる」。ふたつの発言の間にあるあきらかな矛盾にたいして、なぜ新聞が「首相の説明は矛盾をはらんでいるようにも聞こえる」などという婉曲的な書き方をしなければならないのか。矛盾は矛盾だ。ことばは、報道のことばは、正確に使われるべきだ。ことばを侮辱しないでほしい。政治家にも、報道にも、もうこれ以上ことばを貶めるのをやめてほしい。私は私の愛していることばが踏みにじられるのが悔しい。

    劇団地点の『君の庭』という演劇を観た。地点の評判をまえから聞いていたので、観られるのが嬉しかった。ひさびさに劇場空間に身を置けたことも嬉しかった。演劇の主題は、天皇制についてということだった。

    シンプルな身ぶりが何度も繰り返される演劇だった。観ているうちに、私は苛立ちを感じた。挑発されていると感じた。見終える頃には、ずっしり悲しくなってしまった。ことばが弄ばれていると感じた。おそらくは「御言葉」の権威を引きずりおろすために、ふざけたようなイントネーションや英語や偽方言のようなものがもちいられ、そのどれもが、目的ではいっさいなく、権威への挑戦のための手段に成り果てていると感じた。方言が手段に成り果てるという事態は、この国の方言のおかれてきたポジションを考えるだに、あまりにひどい。時事用語も法もアイヒマンも安倍晋三の物真似も、手段に成り果てていた(中盤の古事記のくだりだけは、ほんのすこし愉快な気持ちになった)。脚本家はこの演出をどのように観るのだろうと思った。私が悲しくなったように悲しくなることはないのだろうかと思った。

    私は自分を保守的な人間だと思う。日本語を愛している私をこんなにも悲しくさせることがもし演出の狙いどおりだったとすれば、それは嫌になるほど成功していたと言わなければならない。「御言葉」を批判するためにどのような手段がほかにあるのか、と言う人もいるかもしれない。私はただ、手段としてのことばにはもううんざりしているのだと思う。劇場でくらい、弄ばれることばでなく、深いところへ潜っていくような、豊かなことば遊びが観たい。ことばの魂がすくわれるのを観るために、客席に座りたい。

  • 2020.7.31

    やっとの晴れ。アイスラテをつくって飲む。朝10時、今度依頼する予定のペットシッターさん2名で来訪。ぺろは何かを察知して距離をとっている。洗濯物を干して、マスクをつけて革靴と登山靴のカビとりをした。網戸にして涼んでいたら、窓の外の緑に陽が射してるのが見えて、隣の家の子どもたちがプールに入ってるはしゃぎ声が聞こえてきた。声で、全身で楽しんでいるのがわかって、いいなーと思う。私もそのプール、入りたいぜ。梅雨明けなのかな。今年の梅雨はほんとに長かった、ちゃんと降った梅雨だった。7月終わっちゃったではないか。中庭の草をすこしむしったら、部屋に蚊が入ってきた。自転車で近所の新しいカフェに行ってみる。昨日髪を短く切ったので、帽子にキュッと髪がおさまって嬉しい。アイスコーヒーとソフトクリームを注文して、すこし読書。帰りに海に寄った。淡い、凪いだ海だった。水族館の通用門のところで写真を撮ろうと思ったら、スマホが電池切れだった。秋からしばらくは、帰りに海に寄ったりできなくなる。またいつかここに住めるといいなと思う。夕飯の買い物して帰宅。蚊取り線香ミニをつける。冷房の中の蚊取り線香の匂いは、プルーストのマドレーヌみたいに、手で摑めそうなノスタルジーの匂いだ。

  • 2020.5.4

    She is というメディアの編集者の竹中さんを紹介してもらったのは、今年に入ってすぐの頃だっただろうか。その頃私は、詩誌「て、わたし」主宰の山口勲さんとともに赤坂の書店で世界の詩人を紹介するイベントを連続開催していて、そのイベントのためにパトリシア・ロックウッドというアメリカの詩人の詩の翻訳を進めていた。その詩は、翻訳すればするほど、いちイベントで紹介すれば済むようなものではないように思われてきて——この詩が日本語になってこれまで届かなかった誰かに届くことがとても重大なことのように思われてきて、イベントの最終回の打上げの帰りの電車のなかで山口さんに相談したら、「あ」という感じで竹中さんのことを教えてくださったのだった。

    パトリシア・ロックウッドの詩「レイプばなし」[She is]

    She is という媒体のことはその前から知っていたし、この詩を紹介するにあたって、これ以上ふさわしい媒体はないと思われ、人の繋がりをほんとうにありがたく思った。この詩は読むたびに読み味が違う。暗い虹色に光る詩なのだ。あけすけで、軽くて、乾いていて、笑えて(朗らかな笑い?自虐的な笑い?驚きの笑い?わからない)、すごく痛い。紙で指を切るとき、痛みより先に傷口がひらいて、そこから血がどんどん出てくるのをまじまじと見てしまう、そういう詩だ。読み手は覚悟を要求される。この詩をどう読めばいいのかを自問する無限ループに下りていく覚悟だ。でも、多くの人に読んでほしい。目をかっぴらいて見てほしい。性の問題に向きあうとは、こういうことでもあるということを。それは笑える話なのか。それを笑うことを許されているのは誰なのか。それを笑い飛ばせる日はいったい来るのか。パトリシア・ロックウッドは、自らの生死を賭けて紡いだ言葉で、彼女だけの向き合い方を叫んだのだと思う。
    度重なる変更や誤訳の修正におつきあいくださった竹中さん、ほんとうにありがとうございました。

    あの記事が掲載されたのが、三月初め。それから一ヶ月、どこにも出かけられない四月の日々に書いた日記を、She is Safe Projectに寄せました。イ・ランさんの日記の展開には驚いたけれど、その爆発的な素直さがかっこいいなと思った。プロジェクトは、これからも続いていくとのことです。

    違う場所の同じ日の日記[She is]

  • 2020.4.23

    「必要な店」

    必要な店が立ち退いたあと
    私たちはしばらく呆気にとられていた
    自分の無力にほとほと落ちこみ
    それから感謝と追悼を述べ
    まだお金で買えるものと
    お金で手に入らなくなったものを数えた

    必要な店が立ち退いたあと
    空き店舗の前を私たちは早足で行き過ぎた
    栄養が足りなくて
    私たちはいらいらした
    私たちは政治の無能を罵った
    私たちはミモザの咲いたのを見逃した
    私たちはキセキレイの飛来に無頓着になった
    必要だった店を不要としていた者を見つけて責め
    何か殴るのによさそうな不要なものを手近に探した

    だけどそれも長くは続かなかった
    私たちには圧倒的に栄養が不足していた
    私たちには死が迫っていた
    私たちは必死になった
    必死に抗議し
    必死に応援し
    栄養を必死に補い
    栄養源を死ぬ気で育てた

    挙げ句の果てに私たちは空き店舗を借りた
    そして育てた栄養源を売る店をひらいた

    誰が必要としているかはわからなかったが
    私たちの一命をとりとめた栄養源だった
    その頃には扉や窓は禁じられていて
    店には扉も窓も存在しなかった
    目印に私たちは外壁を黄色に塗った

    以前の店とはあまり似ていなかったが
    私たちは自信をもって商売をはじめた
    私たちに必要な店は
    きっとあなたにも必要だと思ったから

  • 2019.6.12

    「香港料理店」

    香港の自由を求める大きな抗議の日に
    詩人たちはロッテルダムの片隅の香港料理店に集まっていた
    香港では法が脅かされていた
    詩人たちは叉焼や蝦子麺の皿を囲んだ
    香港では言論が脅かされていた
    日本の詩人はオランダ人の通訳を通して中国の詩人と語りあった
    香港では誰かが催涙弾を投げ
    コンゴの詩人はアメリカの詩人にリンガラ語の乾杯を教えた
    誰かが噴きあがる煙を雨傘で防いだ
    詩人たちは英語や日本語やリンガラ語で乾杯した
    香港では書店員が亡命の計画を練っていた
    ロシアの詩人は緊張していた
    ペルーの詩人は持論を述べた
    ポーランドの詩人はまだ向かっている途中だった
    香港は怒っていた
    ドミニカ共和国の詩人はビールをたくさん飲んだ
       ——恋人と猫の写真を眺めたいのを我慢して
    香港の大通りをひとびとが埋め尽くした
    黒いマスクの若者たちが最前列を颯爽と歩いた
    ハーレムから来た詩人が即興のラップを披露しはじめると
    詩人たちは耳をすました
    香港の一部は暴徒化し警察と衝突した
    詩人たちは三々五々ホテルへ帰っていった
    飲み干されたグランマニエの杯を誰かが洗った
    そしてホテルのある部屋ではその晩遅く
    小さな画面に小さな文字が打ちこまれた


                 この私の人生の時間がまるごと、
                 自由のための抗議の比喩になればいいのに。