コンテンツへスキップ

She is というメディアの編集者の竹中さんを紹介してもらったのは、今年に入ってすぐの頃だっただろうか。その頃私は、詩誌「て、わたし」主宰の山口勲さんとともに赤坂の書店で世界の詩人を紹介するイベントを連続開催していて、そのイベントのためにパトリシア・ロックウッドというアメリカの詩人の詩の翻訳を進めていた。その詩は、翻訳すればするほど、いちイベントで紹介すれば済むようなものではないように思われてきて——この詩が日本語になってこれまで届かなかった誰かに届くことがとても重大なことのように思われてきて、イベントの最終回の打上げの帰りの電車のなかで山口さんに相談したら、「あ」という感じで竹中さんのことを教えてくださったのだった。

パトリシア・ロックウッドの詩「レイプばなし」[She is]

She is という媒体のことはその前から知っていたし、この詩を紹介するにあたって、これ以上ふさわしい媒体はないと思われ、人の繋がりをほんとうにありがたく思った。この詩は読むたびに読み味が違う。暗い虹色に光る詩なのだ。あけすけで、軽くて、乾いていて、笑えて(朗らかな笑い?自虐的な笑い?驚きの笑い?わからない)、すごく痛い。紙で指を切るとき、痛みより先に傷口がひらいて、そこから血がどんどん出てくるのをまじまじと見てしまう、そういう詩だ。読み手は覚悟を要求される。この詩をどう読めばいいのかを自問する無限ループに下りていく覚悟だ。でも、多くの人に読んでほしい。目をかっぴらいて見てほしい。性の問題に向きあうとは、こういうことでもあるということを。それは笑える話なのか。それを笑うことを許されているのは誰なのか。それを笑い飛ばせる日はいったい来るのか。パトリシア・ロックウッドは、自らの生死を賭けて紡いだ言葉で、彼女だけの向き合い方を叫んだのだと思う。
度重なる変更や誤訳の修正におつきあいくださった竹中さん、ほんとうにありがとうございました。

あの記事が掲載されたのが、三月初め。それから一ヶ月、どこにも出かけられない四月の日々に書いた日記を、She is Safe Projectに寄せました。イ・ランさんの日記の展開には驚いたけれど、その爆発的な素直さがかっこいいなと思った。プロジェクトは、これからも続いていくとのことです。

違う場所の同じ日の日記[She is]