9時20分、東京発。ことし最初の北陸新幹線に乗って、金沢に来た。金沢駅で阿弥さんとかのちゃんに会って、かのちゃんの運転する車で3人で話して笑っていたら、このところ仕事漬けで機械みたいになっていた心がだんだん軽く柔らかくなった。金沢に昔あった、めろめろなんとかという施設の話を阿弥さんがした。先日の寒波で、金沢にはかなりの大雪が積もったらしい。でも雪はもうだいぶ溶けていた。私の今回の荷物はスーツケースだったから、溶けてくれていてよかった。
昼の日記ワークショップの終了後、私は会場と同じフロアにあるお店でカンタと呼ばれるインドの刺し子のストールを(もう少し暖かくなったら巻こうと思って)買った。阿弥さんも、黒地に緑色の葉っぱもようのワンピースを同じ店で見つけて、かなり迷った末に買った。それは阿弥さんにとてもよく似合っていた。それからまた3人に戻って、アートグミ(夜のワークショップ会場)に向かう前に、金沢市内に新しくできたという大きな図書館に寄り道した。私はお腹がすいてしまって、本には目もくれず館内のカフェにまっすぐ入っていってホットコーヒーとラザニアを頼んだ。
アートグミは北國銀行の建物内にあるギャラリーで、この日はかのちゃんのパートナーであるアフロさん(新谷健太さん)と楓くん(楓大海さん)の展示が行われていて、展示は明日が最終日ということだった。アフロさんは、珠洲の銭湯「海浜あみだ湯」を震災前から切り盛りしていて、展示は、昨年の震災後にあみだ湯の周りで営まれていた日々の暮らしの写真と、あみだ湯のお風呂場を思わせるインスタレーションで構成されていた。震災後に発生した家屋の瓦礫を、アフロさんは、薪でお湯を沸かす銭湯である珠洲のあみだ湯のボイラー室で、ひたすら燃やした。展示は、壊れてしまった暮らしの破片を燃やすことで(銭湯のお湯を沸かすことによって)そこに生きる人を温める営みについての記録だった。
その夜のワークショップで、私たちは銭湯の風呂椅子に座って小さな円をつくり、日記の話をしたり、きょう一日の日記をすこし書いてひとりずつ朗読してみたりした。料理を仕事にしているしぼさんが、粕汁と、能登の田ゼリや干し柿や海苔や原木しいたけやいしりを使ったプレートの軽食を出してくれて、自分にとっては料理することが日記的なのだという話をしてくれた。私は、自分の書いている日記の調子が最近あまりよくないこと、「起きた出来事だけを書けばいい」といつもひとに言っているくせに、愚痴や抱負を書いてしまって、そういう日もあると思った話を、最後にすこしした。
とてもいい会だった。私自身が、ぬるめのお湯に浸かって心を温めてもらうようだった。会が終わると私たちはせせらぎ通りの銭湯でお風呂をもらった。そっちのお湯はとても熱くて、冷えこむ金沢の夜の中、私たちの体はぽっかぽかにあったまった。
その晩はかのちゃん宅に泊まって、翌朝リビングのソファですこし仕事をした。前回きたとき、私はひとりでこの家の留守番をした。あのときは猫たちがみんな構え構えと寄ってきたのに、きょうは誰も来ない。あとで聞いたら、もうひとり一緒に泊まったHちゃんの寝床に猫たちは集合していたらしかった。
珠洲の塩田で代々塩作りをしている家の方が金沢にひらいたピザ屋〈サリーナ〉で昼食にして、白鷺美術へ。到着してみると、白鷺の巽さんとイトウくんがすでにいい感じのセットを組んでくれていて、私たちは簡単に朗読会の流れをおさらいして、コーヒーを飲んだり、阿弥さんが午前中にすこし遠出して買ってきてくれた大福を食べたりした。私が昨日買ったカンタを巻いて、阿弥さんも買ったばかりのワンピースを着た。
阿弥さんの声が空間をどんどん拡張していって、イトウくんがスチールパンや金属の小さな楽器たちでそれに応え、そこは暗い深い暖かい森の中だった。私が英語で読む詩に阿弥さんの声が応えたり、スクリーンに映る字幕がその声と踊ったりした。私はときどき、詩を読むのをやめて、空間に響く音に目を閉じて耳をすました。スリリングな瞬間がたくさんあって、1時間はあっという間に過ぎた。
最近はすこし自作の朗読会に飽きていた(だからしばらくやってなかった)。ひさびさに、読んでいる私自身が引きこまれた、新しくて嬉しいやりとりの時間だった。こんな朗読会ならもっとやりたい。また、やりたい。