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 去年の秋頃から、忙しさがずっと途切れない。書評や月評の原稿、紀行文のための旅、本作り、舞台、いろんな地域でのワークショップが並行して進み、それはすべて自分で引き受けると決めてやっていることだから自分以外の誰のせいでもなく、精いっぱいの心をこめて、もてる技術の限りを尽くしてまっとうするしかなく、てんやわんやで走り続けてしまっていて、現在感覚みたいなものがフワフワ宙づりになっている感じがする。私の仕事はたいてい芸術の秋に繁忙期を迎え、その尾っぽのような忙しさが年末まで続き、年が明けると途端に落ち着いて、春まで仕事が全然ない……ということがここ数年は多かったのだけれど、この冬は年が明けてもずっと仕事している(いまも、原稿のしめきりを抱えているのを見て見ぬふりで、日記を書き始めてしまった)。すこし深呼吸して体勢を立て直すために、仕事の量を調整しないといけないと思う。ワークショップの仕事は、いま予定しているものを全て終えたら、しばらく無期限休業にするつもりでいる。
 まったく休めていないわけではなく、先週は一年半ぶりに詩人の女子会にも顔を出せたし、しれっとiPhoneを新調したりもしたし、数日前に仕事で行った博多では現場の方に教わって入った店の串焼きがすばらしかった。お店のひとが丁寧に焼いてくれて、ゆっくりゆっくり、1本か2本ずつ出てくる、お任せ10種。ぎんなん、牛、豚バラ、砂肝、レバー、大葉肉巻き、ししゃも、つくね……。それが置かれる目の前のお皿にはぽん酢ふうのさっぱりしたたれが入っていて、たれに浸された生キャベツは食べただけ無限に出てくるシステムだった。おいしい串のおいしさは、よいお鮨に匹敵する偉大さだった。
 昨日は満月で、月は雲間に見えたり隠れたりしていた。夕方、海方面へ散歩に行ったら、カフェで読書しているうちに風がどんどん強くなって、帰る頃には身体にGがかかるくらいの風になっていた。それは南風で、いまは立春過ぎで、つまりそれは春一番なのだった。風が強いと海まで歩く散歩には出づらくて、暮らしのルーティンができないのはもどかしいけれど、春一番が吹くのは嬉しい。
 4月には新しい暮らしが始まろうとしていて、6年続けた海辺のひとり暮らしがひと区切りになる。日記にかくこともきっと大きく変わる。3月はもっと歩こう。走らずに。ときどき立ち止まったりもしよう、できるだけたくさん。