長い長い1月だった。渋谷の再開発地区に5日間通い詰めになって、舞台を作っていた。昼も夜もお店のものを買って食べていた。真新しいビルの中にはスタバもタリーズも東急ストアもローソンもカルディも飲み屋街もあって、一生ここから出なくても暮らせちゃうね〜って私は隣の人に冗談混じりに言いながら、それを想像してぞっとしていた。
稽古場は東京らしい風景がよく見渡せるマンションの一室だったし、再開発地区のビルの中にも渋谷の向こうのビル群を眺める窓はあったけれど、会社勤めだった20代の頃よりむしろ、舞台の仕事をするようになったここ数年のほうが、窓も隙間もないスタジオの密閉空間に出かけていくことが増えたような気がする。劇場は外界を遮断して観客を夢の世界に連れていく場所だから、その世界を作るための場所も密閉空間であることは理解できるのだけれど、とにかくその閉ざされた空間にいるあいだじゅう、なんとなく身体が落ち着かない。私はつくづく、風が好きだ、地面が好きだ、日光が好きだ、と思う。
自分の暮らしを見つけること、そこへ向かって生きることは、いつも命懸けだ。大きな予定があると——たとえば自分の関わる舞台の本番とか、本の刊行日とか、とても大切な旅とか——それまでは意地でも死ねないな、と思う。最初に思ったのが15歳のときだったのをはっきり憶えていて、以来、ことあるごとに、そう思うタイミングがやってくる。でも、年齢を重ねると、死の確率は自然と高まってゆくのであって、「意地でも死ねない」が意地で通用するのは何歳くらいまでかな、とも最近は考える。ほんとうは、目の前に何か登るべき大きな山があっても、死ぬ前に登り切れるといいね〜ははは、くらい呑気な感じで構えられるほうが健全なのかもしれない。いまは、どうしても再会したい人がいるから、そうも思っていられないのだけれど。