大晦日は晴れ。年明けにしめきりが迫っている原稿を進めるつもりだったけれど、頭も身体も電池切れのようになってしまって、一文字も書き進められなかった。ことしの仕事はもう諦めて、午後、一年分のお礼を言いに行くような気持ちで、海まで散歩に出た。まあまあ強い砂っぽい風が吹いていて、人のまばらな海だった。帰りがけにスーパーに寄って買いもの。いちご、白菜、大根、にんじん、スライスチーズ、ピザ用チーズ、いぶりがっこなど買う。
とても静かな大晦日。白菜・にんじん・ハムのミルク味噌スープで夕餉にして、明日の新年会のための紅白なますを作り、ことしは紅白も見ず、本を読んで、年越しの瞬間はお風呂の湯船に浸かっていた。
翌朝は六時半起床。よく晴れて気持ちのいい朝だった。休日ダイヤのバスに乗って駅へ向かうとき、車窓から川の向こうに昇る初日が見えて、思わず写真を撮った。バスの乗客は私ひとり。元旦の藤沢駅も人はまばらで、私はまた辺りの写真を撮った。来年のきょう、私はたぶんここにはいない、どこにいるにせよ、きっとここではない。東京に向かう東海道線の車内にも、窓から冬の朝日が射しこんでいた。ぽつりぽつり乗降する人はひとりの人ばかりだった。
インスタライブの準備の時間まで少し間があったから、目黒の駅前のファミマでコーヒーを買って、朝日を浴びながらうろうろ歩いた。語義矛盾みたいに静かな東京。そこに身を浸しているだけで少し嬉しかった。元旦の朝八時に東京のまちなかにいたことなんてあったかな。すくなくとも、こんなふうにひとりで朝日を浴びて歩いていたことはなかった気がする。でも東京の冬の朝はどこか懐かしくて優しかった。こんなふうに過ごすお正月は最初で最後かもしれないと思って、でもどのお正月も最初で最後だった、と当たり前のことを思った。
スタジオには10時から始まるインスタライブのためにさいはての朗読劇のチームが集まって、遠くにいる人はライブの画面の中で中継で繋がって、わいわいわちゃわちゃ、3時間のライブをやり遂げた。きょうこの日をみんなとともに過ごせることが心強くて嬉しくて、そうか、そのために企画されたインスタライブだったんだった、といまさら思い至る。
ライブの後にそのまま始まった朗読劇チームの新年会を先に抜けて海に戻り、つい先日友達になったばかりの女の子と片瀬江ノ島駅で待ちあわせて、海辺を歩いた。人待ちするあいだも、橋のたもとで陽を浴びた。海は昨日とはうってかわって穏やかで、人がたくさんいるのに静かだった。波はほとんどなく、ちゃぷーんと揺蕩う湖みたいな水面だった。一年前のきょうも海辺を歩いていたことを思った。きょうの後半を、自分の暮らす場所で、ひとりではなく過ごせることは素敵だった。私たちはふたりで会うのは初めてだったし、これまでにもじっくり話したことは一度くらいしかなかったけれど、共通の知人も多く、地のテンポが似ていて、終始ゆったりした気持ちで過ごした。
歌うことを仕事にしている彼女の去年の旅の多さは私以上で、数えてみたら25都道府県、20旅くらいしたと言って、おもたせに高知土産の鮮やかな緑の青のりをくれた。旅先がもうスーパーだと思っちゃってる、とちかごろ旅先で食材ばかり買っている私が言うと、そうそう、わかる、と彼女が笑いながら同意した。大きな公園はいい、という話や、ひとりでする暮らしとふたりでする暮らしの違いについてや、この春に居場所を動く人がなぜか周りにすごくたくさんいる、という話で盛りあがった。私の去年のいろんな旅から持ち帰ったあれこれと戴きものを駆使して作ったお雑煮は、ふたりとも「えっ」と声が出てしまうほど美味しくできて、私たちは大満足で新年会のメニューを完食した。
新年会献立:とちおとめ、那須のふきのとうごんぼ(戴き物)、紅白なます、お雑煮
お雑煮:鶏肉、菜花、珠洲のもちふ、珠洲の揚げ浜塩、らうす昆布のひれ、揚げ焼きのお餅、高知の青のり(戴き物)