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 優しい人たちと手あてのような食べものによる治癒のおかげで、私はできるだけ走らないほうへ舵をきり、心の落ち着きを取り戻し、ありがとう、ありがとうと唱えています。あ、トップページの写真を変えました。原稿はあいかわらず山積みだけれど、ぺろにもまだ会えないけれど、書いているし、読んでいる。私の肺は、機能しています。
 忙殺されていた日々の隙間からひゅっと投げこまれるようにして『暗闇に手をひらく』の見本が届き、それをすこしずつ人にも送り、渡し、私はここへ帰ってくればいいのだとわかって、そうわかることで命が助かって。その本の刊行記念イベントの晩は、今年最後の満月です。

 午前中、調べもののため国会図書館へ。ここはほんとうに面白いところで、あんなにたくさんの人が集ってなお沈黙が支配していて、どの人もそれぞれの求める知に向かい、書架のどこかから資料を手配してきてくれる司書さんたちはぴたっぴたっと間違いのない仕事をして、建物のいたるところに天使の気配がある。コートやリュックを預けるロッカーは市民プールのそれのようで、必要最低限のものだけを半透明のバッグに詰め替えてその石造りの建物に入ってゆく私たちはみんな幽霊か何かに似た、薄い皮膚状のものになる。閲覧室には自分が何を知りたいのかを知っている大人しかおらず、基本的に飲食はゆるされておらず、空気は固く気高い。閲覧や印刷や複写のシステムが完璧に統御されていて、求める資料をリストアップしていくうちに、自分自身がシステムの中の半導体の中の何かを通電させる部品になってゆく感じがあり、それがけっしてわるい気分じゃないのがふしぎだ。適切な手順をふめば確実に求める書誌にアクセスできるという、人間の権利を行使している手応えがあるからかもしれない。
 門前の銀杏並木がりっぱで、出てすぐのところに新橋駅行きのバス停があり、そのバスに乗ればサッと帰れて、新橋駅には私のお気に入りの立ち食い鮨のチェーンがある。そんなわけできょうのランチはお鮨六貫、炙りにしんでフィニッシュ。ハマりそう。