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 『アフターサン』観る。薄い層を何枚も何枚も重ねて、それが溶けていくのを見ているような映画だった。忘れてしまうことばかりだった。スクリーンのそこらじゅうに、濃い死の匂いが漂っている。私たちが死ななくても、私たちの関係が毎日死ぬこと。だから記録すること。記録には何も写っていないこと。とどめようと足掻いた事実だけが再生されること。
 帰ってきたら午後だった。おやつのような時間に、納豆キムチ炒飯を作って食べた。夕飯は冷麺。