コンテンツへスキップ

 

 大学の秋学期の非常勤の仕事がきのう一区切りついたから、昨晩は部屋で缶ビールを飲んで崎陽軒の「おべんとう秋」を食べ、好きな歌を歌った。けさ目覚めると空気は急に冷えこんでいて、雨の降る音が窓越しに聞こえた。ぺろは私と交代で布団に潜りこみ、私は颯爽と電気ストーブを出してつけ、意気揚々と温かいお茶をいれて、12月に向けた本作りのゲラに赤字をいれた。
 いま、この日記を書きながら、夏に鶴岡で巡りあったお香を焚いている。火を見つめたいときのための太いろうそくも二本灯して、これは、この気持ちは、長袖の季節の到来を祝う気持ちだ、と思う。
 日曜日は午前中から友達の田んぼへ行って、稲刈りの手伝いをした。私を「詩人さん」とか「サーヤ」と呼んでくれるご近所コミュニティの人たちとの、つかず離れずの、ちょうどいい付き合いが、数えてみるともう三年半になる。
 あいの風PROJECTの手拭いをほっかむりにしていったら、友達が撮ってくれた写真に写った私はいっぱしの農民の姿になっていて、年に一度しか来ない田んぼなのに、こそばゆかった。無理のない気持ちで、私が私のままで「おはようございまーす」と行って手伝える田んぼ=共同体が、自転車で行ける距離にあるということに、とても大きな扉がひらかれた感じがあり、うれしい。地域共同体のようなものを忌避して、無名の者として都会を生きてきた時間が長かったし、以前はその無名性を、これさえあればと思うほど心地良く感じていた。でもいま考えてみると、当時の私には会社という共同体があった(そしてその共同体にはやっぱりとても救われていた)。所属する会社がなくなり、都会の共同体から離れたいまは、なじめる地域共同体が近くにあることに、大きく助けられていると思う。それを同世代の愉快な人たちが切り盛りしてくれていることが、頼もしい。
 田んぼには黒い蛙がたくさん跳ねていて、小さな蜘蛛や名前のわからない虫がたくさんいて、そこを棲みかにしていた。去年の手伝いのときには気にもとめなかった、むしろ苦手で、その存在をできるだけないことにしようとしていた虫たちだった。どうしてかわからないけれど、今年は彼らのことが、苦手なものとしてじゃなく、生きている存在として目に入ってきた。稲を刈るとき、「ちょっとすいませんね」という言葉がほっぺのあたりにあった。こっちの都合でそっちの棲みかをだいぶ削っちゃってね。その写真を見た遠くの友達が「たんぼは最高な装置だよ」と言った。生きものが棲めて、お米が穫れて、循環する装置。ほんとうにそのとおりだと思った。
 さまざまな旅のなかで、山や里にいる虫、自然の豊かな場所で出会う虫はなぜ怖く感じないのだろうと思ったところから、ゆっくりゆっくり、何かが変わってきたと思う。最初にそう思ったのはいつだったか、もう覚えていないくらい、ゆっくりゆっくりのことだ。そうしてつい最近、ガザの人が「虫ケラのように」殺されている、という表現を本で読んだ。遠くの友達はちょうど『風の谷のナウシカ』の最終巻を読んでいて、「どんなにみじめな生命であっても生命はそれ自体の力によって生きています」という言葉が目に入ってきた。虫も生きてると思うこと、虫には虫の暮らしがあると思うことと、平和を願う気持ちの根っこは、太く繋がっていると思う。どれが最初に思ったことだかもうわからないけれど、そんなふうに身体ごと思考が縒り合わさってくる感覚を、私はもっと掘りさげてみたくなっている。