チェロを手放したのは、平屋の旧居にいた頃だからもう五年以上前のこと。大学のサークルで、三年間チェロを弾いていた。卒業してからずっと、弾けないままのチェロは雪だるまみたいな白いハードケースに入って、居間の片隅からじっとこちらを見つめていた。たまにケースから出してみても、賃貸の部屋では思うように弾けなかった。溶けない雪だるまに忍びなくて、その頃、チェロを弾きたいと思っていたんですという人がちょうど現れたのをいいことに、その人に譲ってしまった。彼女はいまでもチェロを弾いているらしいから、やっぱり譲ることにしてよかったと思う。
五年前には想像もつかなかったような新しい人間関係の中で生きている。旅も、旅先での出会いも、自然も、舞台芸術も、音楽も、まったく新しい顔を私に見せようとしている。五年前くらいまでのことがもう前世みたいに感じられる。ほとんど変わらない昔懐かしい姿でいてくれるのは、本棚に並んだ本と使い古した文房具くらいだ。
五月の末、チェロよりふたまわりほども小さな弦楽器を手に入れた。前世ではなく現世にしっかり足を踏んばって生きるためのよすがのようなものがほしくて、初めは車を手に入れるつもりだったけれど、けっきょく楽器になった。高原で「茶摘み」を弾き、半島で「うみねこの唄」を弾いた。日曜日、親しい間柄の人たちばかりのお酒の席で、私がチェロを手放したことを知る音楽家が「楽器を手放すなんて考えられない」と私に言った。新しい楽器を手に入れたことを知るその音楽家は「始めた責任は取ってもらいます」とも言った。どうしよう。とんでもない秋が始まってしまった。