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ゴールデンウィークの終わりに、雨が一日じゅう降っている。キッチンのカウンターに置いていた鉢植えのビカクシダが雨を吸えるように、ベランダに出す。仕事をすこしして、音楽をかけて、本を読んでいる。

土曜日、四月に近所の低山を一緒に歩いたメンバーのひとりが奄美の八月踊りのワークショップをひらくというので、気になって出かけた。海岸沿いを歩いていけば出会えるだろうと甘く見て出かけたら、ものすごい強風の日だった。砂まみれになって、途中で紙パックのフルーツオレを買って、飲みながら歩いていったけど、海岸沿いの公園にはワークショップどころか散歩する人もほとんどいなかった(からすですら、物好きなのが一羽いるだけだった)。紙パックの表面に、湿った砂がびっしり貼りついた。行きつけのカフェに避難して呼びかけ人のMさんに連絡をとると、ワークショップの場所は直前に変更になったらしく、地図の画像を送ってきてくれた。ぜんぜん見当違いのところを歩いていたことがわかって、今度はカフェで買ったアイスラテを握りしめて、道を戻った。ちゃんと防砂林を隔てた海浜公園の芝生のうえに、みんながいた。
初対面の人が多い場所で、私がいつもの人見知りモードを発揮していると、会のひとが「踊らないんですか」と声をかけてくれた。「もうちょっと体を馴染ませてから……」と私がいつもの言い訳をしたら、「お酒、飲めますか」というので「は、はい」と答えると、じゃあお酒でリラックスしてください、と、満月という名前の黒糖焼酎の水割りを振る舞ってくれた。ありがたくいただいて、途中から踊りの輪に入る。
休憩中に、陣羽織の先生が、奄美のことばについて教えてくださる。琉球王国の沖縄ことばに、薩摩統治の時代に入ってきた大和ことばが上書きされて、でも接尾辞や語尾のイントネーションに、統治前の名残りがあるとのこと。踊りには神様のほうへ上りつめていくトランス型と降ろして憑依するポゼッション型があり、八月踊りはトランス型。盆踊りも久しく踊っていなかった、クラブでも久しく遊んでいなかった私の身体だったけれど、ぐるぐる回りながら踊っていると全身が温まって、元気が出てきた。
帰るとき、同じ方向のM子さんとバス停まで歩いた。M子さんは、ダイビングをやっていたことがあるらしい。30mの深さと50mの深さでは見えるものが違って、30mの世界はいろんなお魚がいて、わあ〜という感じで綺麗だけれど、50mの世界は静かで、よくわからないじっとした生きものがいて、息しかしてない感じになるらしい。なぜだか、その話を聞いて、私はますます元気が出てきた。

金曜日の午後に能登半島で地震があった。先月末に取材に出かけたばかりの珠洲市では震度6強を記録して、いろいろな建物が壊れた様子が、ニュース映像で流れてきた。ああ、これは私の知っている町だ、と思う。芸術祭のチームのだれかれに何度も車で送り迎えしてもらって、自分の足でも少しは歩いて、ゆっくりゆっくり私の中に染みこんできた町。暮らしたことはないけれど、珠洲はもう私の故郷になっている。みんなのことが心配。