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同じイタリア人をファシズムと反ファシズムの二つの意識に引き裂き、対立する思想ゆえに、民衆が隣人を敵視し、あるいは極端な場合には肉親までも敵視し、血で血を洗い、殺戮と報復を繰り返して、その果てに解放を達成したとき、人びとは語るべき事柄を視野いっぱいに持っていた。したがって、一九四五年四月以降、イタリアでは、パルチザン体験の物語と実話がまさに怒濤のように巷間にあふれたのである。この間の事情をカルヴィーノは(略)つぎのように記している。「何人もの玄人の作家の声が夥しい数の素人の著書の氾濫のなかへ呑みこまれてしまった。それらの著書とは、たとえば、きわめて生々しい戦争体験の証言であったり、民衆生活のあからさまな記録であったり、未熟な創作の試みや、素朴な随筆の類いや、他を圧する庶民の雄弁の書であったりした。そしてさまざまな様相を呈するその全体が、良きにつけ悪しきにつけ、イタリア・ネオレアリズモと名づけられるものを形作っていたのだった」。いうなれば、それは《主観性の海》であった。

河島英昭著『叙事詩の精神 パヴェーゼとダンテ』(岩波書店)
「カルヴィーノ文学の原点」より