日記 NOTES
- 2023.08.21
Twitterをやめたあと、わりと直後にThreadsを始めてしまって、あんなに覚悟してやめたのに何だったんだろう、引っ越しただけじゃんかと自分で自分につっこんでいる。でもThreadsには企業がやっている公式メディアがまだほとんどいないのがいいなと思う、落ち着いてぼんやり読み書きできる。日記の手前の備忘録のようなものに、いまのところなっている。宣伝もしてみている。
「うつつ・ふる・すず」のチケットが午前9時から発売されて、どれどれとPeatixを覗いてみたら、二時間も経たないうちに完売していた。ひゃ〜と思う、たいへんなことだと思う、これは。去年はスタッフのみんなが一所懸命チケットを売りさばいてくれて、観たひとが口コミで広めてくれて、朗読劇は「珠洲の夜の夢」というタイトルで、ほんとうに夢のように、毎回いつのまにか満席になった。仕込みからバラしまで、体験したことのない愉しさに毎日地に足がつかないような感じになっていて、帰りの飛行機を降りたとき、いま夢から醒めるのだ、きっと何かわるいことが起きるはずだ、家に帰るまで気を引き締めて歩かなくてはと思ったのを憶えている。今年はどんなことになるのだろう。否が応でも、ひと月後にやってくる珠洲の日々のことを考えてしまう。たのしみなような、恐ろしいような。 - 2023.08.20
『アフターサン』観る。薄い層を何枚も何枚も重ねて、それが溶けていくのを見ているような映画だった。忘れてしまうことばかりだった。スクリーンのそこらじゅうに、濃い死の匂いが漂っている。私たちが死ななくても、私たちの関係が毎日死ぬこと。だから記録すること。記録には何も写っていないこと。とどめようと足掻いた事実だけが再生されること。
帰ってきたら午後だった。おやつのような時間に、納豆キムチ炒飯を作って食べた。夕飯は冷麺。 - 2023.08.13
日記ワークショップ第三回。以前体験した永井玲衣さんの哲学対話を、見よう見まねでやってみた。問いは「人と深い仲になるにはどうしたらいい?」に決まった。とてもいい問いだと思った(問いに「わるい問い」というのは存在しないのかもしれないけれど)。ファシリテーターとしてはちょっと自分の話をしすぎた気もする、でも概ねうまくいったと思う。
終了後、参加者のみなさんがサプライズで誕生日を祝ってくれた。そういうことはもう自分の人生には起こらないと思っていた。とてもうれしかった。ケーキのかわりのハーゲンダッツマカダミアナッツ味(みんなはピノ)を急いで食べる。集合写真も撮ってもらう。そのままアメリカンチャイニーズのお店に流れてごはんを食べて、解散してからK本さんに案内してもらって日記屋月日を訪ねた。『違国日記』五巻を(まだ一〜四巻は買ってないし読んでないけど)買う。B&Bにも寄る。
それからマティス展を観るため上野まで移動した。移動するあいだずっと、雨が降ったりやんだりして、湿度がとても高かった。美術館で待ち合わせしていたかよちゃんが「ハッピーバースデー!」と言いながら登場して、花束をくれた。きょう二度目のサプライズ。展覧会はとても混んでいる。
かよちゃんが予約してくれていた東中野の西欧料理の店でラム肉のごちそうを食べて、大久保で二時間カラオケして、くたくたになって帰ってきた。ワークショップは仕事だったはずなのに、夏休みの一日って感じだった。
出会っても出会っても、歳をとればとるほど、自分のことをどこから話せばいいかわからない感じになっていくのだろう。だから深い関係がほしいのかもしれない。だから日記なんか書くのかもしれない。こんなにしあわせもので、まだほしいものがある自分を、信じられないほど欲深いと思うけれど、どうしようもない。
台風七号が近づいている。 - 2023.06.30
2007年7月から使い続けてきたTwitterを、ついにやめた。最近相互フォローになったばかりのひともいて、すこし心苦しいような気もしたけれど、やっぱりやめることにした。ツイートのアーカイブデータはダウンロードして、過去のDMは全部読み返して、思い出深いものはスクリーンショットをとった。最後の日、私のフォロワーさんの数は2,553人、フォローさんの数は488人だった。
まる16年、Twitterを使っていたことになる。最初は、勤めていた宣伝会社がウェブ広告にも力をいれていたから、とにかく新しいSNSはなんでも使ってみようという気持ちで登録したアカウントだった。3.11の震災のとき、電話回線が壊滅的ななかさくさく動くTwitterが頼もしくて、それからライフラインのひとつになった。Twitter上で知り合えたひともいたし、自分のツイートがちょっとばずると、やっぱりそれなりに嬉しかった。
Twitterには、よくもわるくも言葉というものに拘泥しているひとがいて、優しすぎるひとも、こわいひとも、過激なひとも、左のひとも右のひともいて、ときどきほんとうにげっそりしてしまうような言い合いや糾弾や弁解もあったけれど、それでもひとつのトピックをみんながそれぞれ考えて意見をのべたり、ふーっとためいきをつくようにその日の体調を置いていったり、そういう場にいるのはわるくなかった。
『踊る自由』という詩集を出したとき、それまでの自分には信じられないほどの反響をもらった。出版社が刊行を発表したツイートに300を越えるいいねがついて、すごくうれしかった。たくさんのひとが私の本を読み、感想を呟いてくれるようになった。でもその頃から、私のツイートは宣伝ばかりになった。Twitterは私にとっていつのまにか、始めた頃とは全然ちがう居場所になった。
ドナルド・トランプが出禁になった。マスク派とノーマスク派がお互いをなじりだした。イーロン・マスクがTwitter社を買収することになったとき、ああ、もうやめてもいいかなと思った(イーロン・マスクの顔が好きじゃなかったから)。自分の作品や活動の宣伝のためという建前でなんとか切り盛りしてきたけれど、もうそれを宣伝するのは、私の仕事じゃないのかもしれないな、とも思った。それをやってくれるひとが、さいわいなことに、いまの私のまわりにはいて、私には別の仕事があり、そっちに集中してみてもいいのかもしれない。そんなことを、去年くらいからぼんやり思い始めて、携帯やタブレットからアプリを削除して、いつやめてもいい状態にしてあった。
昨日、前期さいごの授業があって、大学の講師としての仕事がひと区切りついた。きょうからは夏休み。でも、執筆という宿題の山は、うずたかく私の目の前に積みあがっている。そういう夏休みの初日に、私はTwitterのアカウントを消すことにした。Facebookのアカウントも停止している私のSNSは、これでinstagramだけ。さあ、どんな夏休みが始まるかな。 - 2023.06.06
移動の衝動が、むくむくとふくらんできている。新しい場所に行きたい。それはどこか。まだわからないけれど、こっちではない気がするな、あっちなのかもしれないな、と、具体的な土地の名前を口に出してみながら、自分の直感を試している。
こういうときの私は、ほんとうに見境がなくて、手に負えない。相談できる人を探しだしては片っ端から相談して、自分の気持ちをたしかめて、踏み固めるような作業。親切にしてくれる人には失礼のないように、礼儀正しくしようと思うし、これまでだってできるだけそうやってきたつもりだけれど、それでもやっぱり、暴走モードにスイッチが入っていることは、後頭部でちゃんと自覚している。考えていることがぜんぶ口から漏れていくから、相談にのってくれているひとには、私の話はさぞ支離滅裂に聞こえるだろう。いいぞいいぞ私、やっちゃえ、と思う。振り回してるみなさん、すみません。
周りの友達の変化のニュースがいくつも重なったことも、暴走モードに拍車をかけている。旧友たちは家を買っていたり、ニューヨークに家族で移り住むことになっていたり、ギリシャに家族で移り住むことになっていたり、四〇代ならではという感じの動きを大きく動いていて、そんな話を聞いていると、私もやっぱり、つられて大きく動きたくなってくる。私は私の四〇代を、どうしよう。なんだか道が広すぎて、ぽかんとしてしまう。
「小さくまとまんなよ!」って、昔、ドラマのなかの三上博史が言っていたな。 - 2023.05.31
昨晩ひさしぶりに出かけたクラフトビールの店で友達と何杯も飲んだ疲れが出て、ぼうっとした身体で起きた。朝遅く、雨のなか、最寄りのパン屋へパンを買いに歩いて行った。パンに合う紙パックのカフェオレも買う。午後は来週明治大学でするゲスト講義の資料作り。雨は午後になってあがって、夕方になると私は「茶摘み」の唄を口ずさみながら海まで散歩に出かけた。夕方の散歩はかなり習慣として定着してきて、いい感じ。「茶摘み」は1番の歌詞は絵画的な描写がキマっていて、わーっとひろがった緑のなかにたすきの赤と笠の枯れ色が点描される感じで、色彩が鮮やかで、頭韻もいい感じだけど、2番がいい加減だなあと思う、「摘めよつめつめ摘まねばならぬ」とか。1番と2番の作者は別人かもしれない。夜、弟の作ったラジオドラマがギャラクシー賞優秀賞を受賞した由、吉報届く。
- 2023.05.24
水曜日の夜。哲学者の永井玲衣さんと写真家の八木咲さんが主催する「せんそうってプロジェクト」の対話の会に参加した。20人くらいのひとが集まっていて、玲衣さんがきりだした「my war」というキーワードから、それぞれのひとがいろいろな、自分と戦争にまつわる話をはじめた。あっというまに、2時間が過ぎた。
永井さんからこの対話篇への参加を呼びかけるメールが届いたとき、私はほとんど考えるまもなく申し込んでいた。いま、その会場から帰る電車のなかで、この日記を書いている。
なんでもいいからひとと会って話をする機会を、縋るようにもとめる気分がなんとなくずっとあった。それで、慣れない場所、初対面のひとがいる場所に、あえて自分をひきずりだすようなことを、立て続けにしていた。そういう場所での所在なさに、自分の身体がどう反応するのか、ちょっと自傷に近い感覚で試しているようなところもあった。
でも、行けばかならず、ひとのやさしさに触れる。慰められる。全員が見知らぬ人というわけでもないし、思いがけない再会があったりもする。それがだんだんわかってきた。すこしずつ違う考えかたをもって、ひとりひとり生きているまま、なにかをよすがにして、集まる。発言しないひとは発言しないまま、なんの問題もなくそこにいる。戦争という言葉の巨きさに、私はひるみつつも、ひとりひとりの言葉から漏れてくる実感の手触りみたいなものに、やっぱり慰められていた。もっと正直に書くなら、いま私は、「詩人・大崎清夏」としての言葉が、人前に出るほどどんどん上達してしまうのが、嫌になってもいるのだった。もっと言葉が下手になりたい。包まないまま投げ捨てたい。その方法がわからなくて、じりじりしてもいるのだった。
こういう動きかたが自分にどう沈殿していくのかは、まだわからない。でもたぶん私はいま、自分の外に出ていきたいのだろう。風で道の脇に落ちた、小枝のようなものになりたいのだろう。そういう私自身を、じっくり引き受けてやりたいと思う。戦争について誰かと話したいことは何ですか、と最後に玲衣さんがひとりひとりに問いかけた。たくさんのエピソードや思考を浴びたばかりの頭で、私は混乱しながらも、「自分や自分の大切な人を守りたいと思うことと、人を殺したい、殺さなければならないと思うことの間には、どれほどの距離があるのだろう、ということを、考えたい」と言った。
- 2023.05.08
山に行きたい。この春はふたつ、低山を歩いた。大磯の駅から神社を経由して登る湘南平と、修禅寺からすこし車で南下して「踊子歩道」を歩く天城峠。どちらも穏やかに晴れた日で、メンバーもそれぞれすてきで、とてもいい山歩きだった。私がいま考えているのは、夏山のことだ。北アルプスか。八ヶ岳か。誰と登るのか。いつ登るのか。考えはじめると止まらなくなる。いつか行きたいと思っていた安達太良山のくろがね小屋が改修工事に入って、二〇二五年までお休みだという。残念すぎる。それでも今年は、東北の山にも登ってみたい。みちのく潮風トレイルも、月山や鳥海山のことも、ちらちらと気になりつづけたまま、未踏のままだ。ソロハイクはほとんどしたことがないけれど、何度か歩いた山なら行けるだろうか。いや、ちょっとしたことで不安になりやすいタイプだから、やっぱり誰かと一緒に行ったほうがいいか……。
山に持っていく本のことも考えてしまう。天城峠を歩いたあとに『伊豆の踊子』を読み返したら、自分の身体にも入っている伊豆の地名がどんどん出てきて心が躍った。修禅寺から湯島、下田。踊り子が伊豆大島の波浮港出身だったなんて! 昔ながらの温泉街の雰囲気の残る波浮のふ頭で熱々のコロッケを食べたことがある人なら、この情報がどれだけ踊り子の身の上を語るのにふさわしいかわかると思う。
ヤマケイ文庫の『牧野富太郎と、山』や、いつもは寝室に置いてある『クマにあったらどうするか』も、早くリュックに入れてやりたい。石牟礼道子さんの『椿の海の記』も、ラフカディオ・ハーンの『心』も、山の旅に連れていってもらう出番をじっと待っている気がする。 - 2023.05.07
ゴールデンウィークの終わりに、雨が一日じゅう降っている。キッチンのカウンターに置いていた鉢植えのビカクシダが雨を吸えるように、ベランダに出す。仕事をすこしして、音楽をかけて、本を読んでいる。
土曜日、四月に近所の低山を一緒に歩いたメンバーのひとりが奄美の八月踊りのワークショップをひらくというので、気になって出かけた。海岸沿いを歩いていけば出会えるだろうと甘く見て出かけたら、ものすごい強風の日だった。砂まみれになって、途中で紙パックのフルーツオレを買って、飲みながら歩いていったけど、海岸沿いの公園にはワークショップどころか散歩する人もほとんどいなかった(からすですら、物好きなのが一羽いるだけだった)。紙パックの表面に、湿った砂がびっしり貼りついた。行きつけのカフェに避難して呼びかけ人のMさんに連絡をとると、ワークショップの場所は直前に変更になったらしく、地図の画像を送ってきてくれた。ぜんぜん見当違いのところを歩いていたことがわかって、今度はカフェで買ったアイスラテを握りしめて、道を戻った。ちゃんと防砂林を隔てた海浜公園の芝生のうえに、みんながいた。
初対面の人が多い場所で、私がいつもの人見知りモードを発揮していると、会のひとが「踊らないんですか」と声をかけてくれた。「もうちょっと体を馴染ませてから……」と私がいつもの言い訳をしたら、「お酒、飲めますか」というので「は、はい」と答えると、じゃあお酒でリラックスしてください、と、満月という名前の黒糖焼酎の水割りを振る舞ってくれた。ありがたくいただいて、途中から踊りの輪に入る。
休憩中に、陣羽織の先生が、奄美のことばについて教えてくださる。琉球王国の沖縄ことばに、薩摩統治の時代に入ってきた大和ことばが上書きされて、でも接尾辞や語尾のイントネーションに、統治前の名残りがあるとのこと。踊りには神様のほうへ上りつめていくトランス型と降ろして憑依するポゼッション型があり、八月踊りはトランス型。盆踊りも久しく踊っていなかった、クラブでも久しく遊んでいなかった私の身体だったけれど、ぐるぐる回りながら踊っていると全身が温まって、元気が出てきた。
帰るとき、同じ方向のM子さんとバス停まで歩いた。M子さんは、ダイビングをやっていたことがあるらしい。30mの深さと50mの深さでは見えるものが違って、30mの世界はいろんなお魚がいて、わあ〜という感じで綺麗だけれど、50mの世界は静かで、よくわからないじっとした生きものがいて、息しかしてない感じになるらしい。なぜだか、その話を聞いて、私はますます元気が出てきた。金曜日の午後に能登半島で地震があった。先月末に取材に出かけたばかりの珠洲市では震度6強を記録して、いろいろな建物が壊れた様子が、ニュース映像で流れてきた。ああ、これは私の知っている町だ、と思う。芸術祭のチームのだれかれに何度も車で送り迎えしてもらって、自分の足でも少しは歩いて、ゆっくりゆっくり私の中に染みこんできた町。暮らしたことはないけれど、珠洲はもう私の故郷になっている。みんなのことが心配。
- 2023.05.03
大学で授業をしたり、友達と山に登ったり、海辺を散歩したり、珠洲へ取材旅行に行ったりしているうちに、四月(残酷きわまる月!by T.S. Eliot)が過ぎた。調子はゆっくり快復しているような、のらりくらり蛇行しているような。友達と会っているときは心から楽しく笑うし、仲間と仕事の連絡を取り合っているときも水を吸った植物みたいに元気なのだけれど、ひとりで部屋にいるとどうもぽつねんとしてしまう。去年が夏から年末にかけて怒濤の忙しさだったから、かるい燃えつき症候群みたいなものかなあとも考える。部屋でひとりになれる時間がほしくてほしくてたまらない、というような時期がかつてあり、そういう時間を手に入れてうきうき自炊した時期もあったけれど、いまは話したいことを話せるひとがまわりにいてくれるのがとてもありがたい。ほんとうに私はわがまま。人間はどこまでもわがままになれる。おそろしいことだ。
人生の過渡期のきびしさなのかな、とも思う。それをようやく味わう日々も、やっぱりきっと私には必要なのだろうなと思う。ひとりひとり、毎日会えるわけじゃなくても大切なひとたちの顔を思い浮かべて、目を閉じて深呼吸すれば、夜はちゃんとよく眠れる。ひとりがうれしい感覚もやっぱりちゃんとこの手に感じ直したいけれど、うむ、焦らないぞ。書かなければならなかったものはなんとか草稿まで無事に書きあがり、編集者さんに渡せた。あとはこまかい手直しと推敲。きっとだいじょうぶ。 - 2023.04.16
尊敬する音楽家や作家の訃報が続いて、鬱々とすごしていた。昼ごはんを食べながら韓国ドラマを観ていても、へんなタイミングで涙が出る。書かなければならないものを横目に放置して、てきとうに流行りの音楽をかけて歌ってばかりいた。いやなことが重なって、私が鬱々とすごしているあいだに、いつのまにかピアノを習いはじめていた友達が、パッヘルベルのカノンをちゃんと弾けるようになっていた。友達が送ってくれた動画の中で、それはとてもいい演奏だったのに、私は鬱屈を隠しきれずにやつあたりしてしまった。ああいやだと思った。こんな私は私がいやだ。鬱々としたまま、仕事をひとつ片づけて、眠って、起きて、自転車に乗った。さいわいきょうは晴れていた。いつも行くスタバじゃなくて(覗いてみたけど、とても混んでいたし)、個人経営の小さなコーヒー店でアイスラテを飲んで本を読んだ。まだゴールデンウィークにもならないというのに初夏みたいな暖かさだった。すこし日が落ちるのを待ってから海に行った。浜沿いの舗道を、ゆっくりゆっくり自転車で走った。日曜日の人たちが、海にくるために海にきていた。それをみて、すこし気持ちが明るくなった。私の目の前で、気流を使って地面すれすれまで何度も繰り返し舞い降りて遊んでいるとんびをからすの輩が襲撃した。私は「ええ!」とひとりで笑ってしまった。河口をすこし遡った。それから海沿いの国道に出て、もう一軒、行きつけのカフェにはいってアイスコーヒーを飲んで、本の続きを読んだ。カフェをはしごするのはすごくひさしぶりのことだった。書かなければならないものは、一行も進まなかった。でも、きょうはこれでよかったと思う。そう思うことにする。
- 2023.03.27
水曜日、アリス・フィービー・ルー(Alice Phoebe Lou)のライブを観に、渋谷へ行った。ひとりでスタンディングのライブに行くなんて、私はこれまで、やったことがなかった。ライブの開始を待つあいだ、スクランブルスクエアの上島珈琲でナポリタンを食べて、アイスコーヒーを飲んだ。渋谷は相変わらず怖い街で、私の隣には、飲食店を始めようとしている若い女の子に始終びんぼう揺すりを続けながら切々と詐欺まがいのコンサルティングをしている男がいた。「それ、たぶん詐欺だよ」と女の子に言うチャンスを窺ったけれど(ほら「大豆田十とわ子と三人の元夫」にそういうシーンがあるでしょ、とわ子がレストランで結婚詐欺師に騙されかけてるとき、店員がそのことを教えにくる……)、私にはできずじまいだった。
私は人生に推しというものをもったことがない。先日、初めてお会いした編集者さんに、そういう対象があるかと尋ねられて、唯一思い浮かんだのが、アリスだった。そもそもそんなに好きでもないスタンディングのライブに、一緒に行ってくれる人が誰もいなくても、結局ひとりで行ってしまうほど、アリスのことは、応援しているのだった。
アリスを初めて見たのは、ベルリンに滞在していたときだった。2012年だったと思う。マウアーパークの路上で歌っていた彼女の周りには、もうすでに大きな人だかりができていた。透きとおる長いウェーブの金髪、華奢な妖精みたいな身体にギターをひっかけて、左足と右足に別々の色の靴下をはいて、彼女は歌っていた。私は路上ライブにそんなに大きな人だかりができているのを見るのも初めてだったし、自分が路上ライブに引き寄せられて見入ってしまうのも初めてだった。彼女の足もとに置かれた段ボール箱の中には10ユーロのCDがたくさん詰めこまれていて、歌の合間に、人混みの中からそれを買う人がひっきりなしに現れた。私もそのCDを一枚買った。写真も撮った。
その数年後、アリスが来日するという情報に出くわした。あれからアリスはものすごく精力的に世界中のライブハウスでツアーを組んでいた。そしてついに日本にも来ることになり、青山で、青葉市子ちゃんと対バンするというのだった。チケットを買わないわけにいかなかった。あの子が、あの子が、あの子が、日本に来る!!! 嬉しくて嬉しくて、ライブ会場でたくさん声援を飛ばした。そんなことも初めてだった。
彼女の四年ぶりの来日ツアーの初日はWWWXで、しっかりソールドアウトになった。日本語でちょっとだけ挨拶してくれた。お喋りの中で、桜の季節に来られて嬉しい、と彼女は言って、しかも昨日は春分だったね、春の、一年の始まりのエネルギーをみんなにお裾分けするね、と、客席に向かって種を撒くようなしぐさをして、それがまたかわいかった。四年前よりも女の子のファンがたくさん来ている気がして、それもまた嬉しかった。大好きな曲「dusk」をアリスが歌うとき、私は一緒に口ずさんだ。立ちっぱなしのライブが嫌いなことなんて、その歌を聞いているあいだだけは、忘れてしまった。 - 2023.03.18
水曜日、「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を観に映画館へいった。毎年この季節になると、アカデミー賞授賞式がある。映画の宣伝会社に勤めていた頃、その日だけは出社するとオフィスのフロアに大きなモニターが設置されていて、みんなでモニターを囲んでリアルタイムで賞の発表に見入った。クライアントの携わっている映画が受賞すると嬉しかった。公式サイトの予告編を「アカデミー賞ノミネート!」から「アカデミー賞受賞!」のバージョンに差し替えるのが私の仕事だった。オスカー狂いの私の上司は、Twitterで授賞式の実況中継をするために会社を休むのが恒例だった。私も、いまでもその日がくるとそわそわする。WOWOWを契約していないので、リアルタイムで全部を見ることはできないけれど、一日くらい経ってから、YouTubeで受賞者のスピーチをチェックする。司会のコメディアンが打つオープニングトークもチェックする。元上司のTwitterもチェックする。
受賞者たちのスピーチを見ていると、私はすぐ泣いてしまう。今年は「エブエブ」のミシェル・ヨーが主演女優賞のスピーチをした。難しい年頃の娘の母親役を務めたミシェル・ヨーが「女性の皆さん、あなたがもう花盛りを過ぎたなんて、絶対に誰にも言わせないで!」と高らかに叫んでオスカー像を掲げ、会場の女たちが盛大な賞賛の声を飛ばす。勇気づけられて、私は泣く。「エブエブ」のダニエルズも監督賞のスピーチをした。早口で謝辞をまくしたてるスピーチの中に映画や芸術への愛が詰まっていて、私はまた泣いてしまう。「エブエブ」のジェイミー・リー・カーティスも、助演女優賞のスピーチをした。プロデューサーとしても活躍しているこのベリーショートのよく似合うかっこいい女性が「オスカーをとったのは、(私ひとりじゃなく)私を支えてくれた全員です、私たちが、私たちが!オスカーをとったんです!」と両手を広げて叫ぶ言葉の説得力に、また泣いてしまう。
アカデミー賞の結果をひととおり知ったところで、作品賞受賞作を映画館に観にいくのが、もうずいぶん前から、私のこの時期の恒例行事になっている。「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」は、マルチバースという言い訳のもと、あの怪作アニメ「ポプテピピック」みたいなめちゃくちゃさのなかで王道の物語が展開されて、そのばかばかしさの中に見え隠れする愛がツボに入ると笑いが止まらなくなってくるのだけれど、私の観た回では映画館は静まりかえっていた。後ろの列に座っていた老夫婦は、アカデミー作品賞受賞作を観に来たはずなのにいったい何を見せられたのかしらという顔で、エンドロールが始まると早々に席を立っていた。 - 2023.02.22
火曜日は恵比寿で、結さんと肉を食べる会をやった。結さんは画家である。私たちは去年、横浜での展示をきっかけに知り合って、展示中のイベントで制作されて私がとても好きになった絵を、結さんは私の詩と交換で譲ってくれて(その交換が成立した日、芸術家をやるって愉快だなと思ったものだ)、火曜日は恵比寿で、その完成した詩を結さんに納める会でもあった。
絵は、ギャラリーの展示室で見たときには普通の大きさに感じられたのに、額装してもらうときに改めて対面すると、ちょっとびっくりしてしまうくらい大きかった。私の部屋に来たときも、絵はちょっと動揺してしまうくらい大きく感じられ、やっぱりもっと小さい絵にすればよかったかなという気持ちが一瞬頭をかすめた。けれども毎日一緒に過ごすうちに、絵は部屋の壁になじんで、またちょうどいい大きさになってきた。ひとの身体の動きを追って描かれた線や色が、ときどき目に入ってくる。昨日は見えなかった線や色が、今日になってよく見えるということがある。
お酒をのみながら、制作のことや、暮らしのことや、世の中にはわからないことが多いことや、おいしいものを食べることの重要性について、私たちは喋った。基本的に朗らかな結さんは、話しているとときどきこちらが息をのむようなふしぎな比喩をつかうのだけれど(ふしぎすぎて、思いだそうとしても思いだせない)、本人にはあまり自覚がないらしい。結さんの同僚は、仕事を辞めたらトロールハンターになりたいらしい。私たちの斜め後ろでは、てらてらとよく肥えた都会の獰猛な馬のような男たちが声をぱーんぱーんと張って向かいに座る女たちに自分たちの魅力をアピールしようとしていて(ああそうだった、ここは恵比寿、これだよなあ)、声が空間に溶けがちな私たちは、しばしば会話を中断されて苦笑いしてしまった。 - 2023.02.07
小野和子著『あいたくて ききたくて 旅にでる』をすこしずつ読んでいる。日曜日は、冬のあいだにすっかり殺風景になってしまったベランダのために、近所の花屋でワックスフラワーを買ってきて鉢に植えた。800円。日曜日は混んでいるとわかっているのに、なぜか花屋に行きたくなるのはいつも週末。
昨日は獅子座の満月だったらしいけれど、見逃してしまった。昨日は、ぺろの年1回の混合ワクチンを打ちに、かかりつけの動物病院へ行った。リュック型のケージにぺろを入れてしょって、自転車に乗る。坂をくだるとき、背中に向かって「はい、坂くだりますよ〜」と言い、川を渡るとき、背中に向かって「はい、川だよ〜見てるか〜」と言う。ぺろにとっては、年1回のお出かけデー。病院の台の上で肛門腺を絞られているときは怒りの雄叫びを上げても、済んでしまうとけろっとしているから、いい性格だなあと思う。今回は、初めて歯石も取ってもらった。 - 2023.02.04
先日ジェフリー・アングルスさんに教えてもらった、キャロル・キングが歌う「チキンスープ、ライスいり」のYoutube動画がかわいくて、何度も見てしまう。もともとはモーリス・センダックのことば遊びうたで、私は子どもの頃に邦訳版の豆本(というのか?ミニサイズの箱入り絵本)を繰り返し読んだけれど、キャロル・キングが歌っているバージョンがあるなんて知らなかった。しかも、こんなにかわいいアニメーション付きで!
ジェフリーさんは日本語がとても堪能だから(それに、私たちが会うのはいつも日本だから)、私たちが会うときは基本的に日本語で話す。でも喋っているとなぜか私の脳みその英語の部分が刺激されてきて、ついこんな会話になったりする。
J「アメリカの食べもの、何が印象に残ってる?」
S「Seven up!」
J「Wow, Really!?」
J「その授業は、クリエイティブライティング?」
S「うーん、kind of クリエイティブライティングって感じ。」
J「清夏さんは、いつから詩を書きはじめたんですか?」
S「いわゆる(指二本でエアクォーツして)ポエムと言われるようなものは、中学時代から書いてて……。」
J「子どもの頃、どんな本読んでた?」
S「ロアルド・ダールが大好きだった。あと◎◎とか△△とか……、あと、Where the Wild Things Are.」
ジェフリーさんにはもちろん「かいじゅうたちのいるところ」でも通じるのだけれど、こんなふうに自分の言語体系の中に紛れている英語を会話のなかで拾いあげるのが、ジェフリーさんと会話するときの、私の密かな楽しみなのだ。
朝、コーヒー、はちみつバナナいりヨーグルト。
昼、ツナいりトマトソースパスタ、ツナとかぶの葉のサラダ、炭酸水。
夜、かぶの焼くだけ、菜めし、明太子、赤ワイン。 - 2023.01.19
しめきりのある原稿の途切れめがきて、久しぶりにゆっくり読書や料理や掃除をしている。火曜日には上野のピカソ展に行って、そこから友達夫婦の営んでいる西馬込のカフェに足を伸ばしたりもした。ピカソの絵は、入ってすぐのところに展示された素描の「The Sleeper(眠る男)」というのがすごく良くて、なかなか絵の前を離れられなかった。眠る男のベッドの反対側に立て膝をついて座った裸の女の、男を見ている顔が、とても柔和で、優しくて、しあわせそうだった。腕をあげて眠っている男の脇毛まで、しあわせそうだった。
カフェは大繁盛で満席。Nが出てきてくれて、私は外で本を読みながらすこし待って、席が空くと入って、Nが立ち働く合間に私たちは少しずつ喋った。これまでいつも、友達どうし集まったり、東京観光のひとを連れてきたりで、考えてみると、ひとりで来るのは初めてだった。「私らも年とった!」とNが言う。Nとふたりで新宿ゴールデン街の一日貸しの店でスナックのママをやったのは、あれはもう何年前だろう? Nの息子は今年、小学2年生になる。カフェは外から射しこむ光がとても心地よくて、チョコレートスモアの甘さが蠱惑的で、読書が捗って、私はやっと、冬やすみの心地がした。Nと、今年こそは「語る会」をしようと話して、帰ってきた。 - 2023.01.05
仕事初め、ランドマークタワー。行きがけに、みなとみらい駅でとてもかわいい老婦人に「6番出口ってどこかしら?」と声をかけられて、「私もその出口なんですけど、どこでしょうねえ」と一緒に迷いながら道案内をした。老婦人は「なんとかいうホール」を探していて、「東急ホテルに泊まる」というので、まあみなとみらいホールだろうと当たりをつけて、途中まで一緒に行った(でももしもランドマークホールだったらごめんね、おばあちゃん…!)。5階分くらいを一気に昇る長いエスカレーターに一緒に乗ると、「もう82歳だから、ホールの名前やなんか聞いても忘れちゃうのよねえ」「前にも来たことあるんだけど、そのときは桜木町駅だったの」「それにしてもすごいわねえ」とみなとみらい駅の摩天楼を見回して老婦人は言い、最近じぶんのおばあちゃまの話を本に書いた私は、むげにできない。エスカレーターを降りたところで、「おかあさん、私はこっち行かなきゃなんだけど、おかあさんはあっち、あの白く光ってる道だと思う」と言って、老婦人がその道に消えていくまで、後ろ姿を見た。それが「6番出口」だったのかは、けっきょく最後までわからずじまい。
ラジオに生出演するというので、フリートークの苦手な私は話すことを台本にたくさん書きこんでいった。でも喋りだしてみると、ここ数年あっちこっちで人前で喋る仕事をしてきて、さすがにすこしは、喋ることにも慣れてきているような気がした。FMヨコハマのスタジオのロビーからは「花束みたいな恋をした」の観覧車がみえて、空がすこーんと青かった。あんまり気持ちよかったから、帰りはイヤホンで音楽を聴きながら、まっすぐで平らで意味がわからないほど広い道路を、横浜駅まで歩いて帰った。 - 2023.01.04
新しい年が、しれっと始まってしまった。どこにも出かけずに部屋で年越しをした。そのかわり、去年の最後の週にご近所仲間のSちゃんたちが南伊豆ドライブ旅行に連れ出してくれた、その思い出をお正月の肴にしていた。ふしぎな旅だった。ぐうるぐうるとらせん状に降りていく天城越えの車道を、私は中学の研修旅行で何度か通ったことがあった。それは身体が憶えていた。滝をみて、おだんごを食べて、温泉に入り、お刺身とクラフトビールで乾杯した。とても普通の、王道の温泉旅行で、それがよかった。普通じゃなかったのは、その新しい宿を切り盛りしているのが、Sちゃんの知り合いだということだった。大きな座卓をみんなで囲めるようになっている宿の広間の隅で、遊びにきた近所のおとなやこども(それもSちゃんの知り合いだった)が百人一首かるたをやっていた。途中から私も混ぜてもらって、百人一首でいちばん好きな歌(あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む(柿本人麻呂))の札を小学生の女の子と僅差で(ちょっと譲ってもらって)とった。それから「海老しか勝たん」というひょうきんな名前のバーにどやどやと行った。バーはとてもちょうどいいサイズで、暖かくて、よく知っている人とさっき知り合ったばかりの人がいて、マスターは人の心をひらくのがうまかった。紅茶とオレンジの強い香りをつけたジンを勧められて飲み、おかしな酔っぱらいかたをして、気がつくと、そこにいる若手女子たちの人生相談を片っ端から引き受けていた。
- 2022.12.28
ドラマ「エルピス」最終話。嗚咽するほどの涙が、何度も何度も出てしまう。「なんで殺されなきゃなんないのよ」という浅川(長澤まさみ)の渾身の台詞に、大きなものが込められすぎていて、私は怒っていたんだ、そうだ、当然だよ、怒っていたに決まってるよ、だって……と、あのこともこのことも、生きていくためにとりあえず忘れることにして読み捨ててきた酷いニュース記事の数々と、それらによって呼び起こされた感情を、いくつもいくつも抱きしめるみたいに思いださせてもらった気がした。どのシーンもよかったけれど、浅川が自分の読むべき原稿を読んだあと、怖い顔してスタジオに居並んだ偉いおじさんたちから「逃げてきたー」というシーンがかわいくて、切実で、私もあんな巨大なビルのゲートから逃げてきたことがある気がして、うれしかった。報道(女=浅川=長澤まさみ)が政治(男=斉藤=鈴木亮平)に「流れで抱かれてしまう」関係をいかに脱するかという話でもあったと思う(自分の仕事を果たそうと決めた直後に、浅川は斉藤に振られる)。こんなに揺さぶられるドラマに出会ったのは、「それでも、生きてゆく」以来かなあ。