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日記 NOTES

  • 2023.05.24

    水曜日の夜。哲学者の永井玲衣さんと写真家の八木咲さんが主催する「せんそうってプロジェクト」の対話の会に参加した。20人くらいのひとが集まっていて、玲衣さんがきりだした「my war」というキーワードから、それぞれのひとがいろいろな、自分と戦争にまつわる話をはじめた。あっというまに、2時間が過ぎた。

    永井さんからこの対話篇への参加を呼びかけるメールが届いたとき、私はほとんど考えるまもなく申し込んでいた。いま、その会場から帰る電車のなかで、この日記を書いている。
    なんでもいいからひとと会って話をする機会を、縋るようにもとめる気分がなんとなくずっとあった。それで、慣れない場所、初対面のひとがいる場所に、あえて自分をひきずりだすようなことを、立て続けにしていた。そういう場所での所在なさに、自分の身体がどう反応するのか、ちょっと自傷に近い感覚で試しているようなところもあった。
    でも、行けばかならず、ひとのやさしさに触れる。慰められる。全員が見知らぬ人というわけでもないし、思いがけない再会があったりもする。それがだんだんわかってきた。すこしずつ違う考えかたをもって、ひとりひとり生きているまま、なにかをよすがにして、集まる。発言しないひとは発言しないまま、なんの問題もなくそこにいる。戦争という言葉の巨きさに、私はひるみつつも、ひとりひとりの言葉から漏れてくる実感の手触りみたいなものに、やっぱり慰められていた。

    もっと正直に書くなら、いま私は、「詩人・大崎清夏」としての言葉が、人前に出るほどどんどん上達してしまうのが、嫌になってもいるのだった。もっと言葉が下手になりたい。包まないまま投げ捨てたい。その方法がわからなくて、じりじりしてもいるのだった。

    こういう動きかたが自分にどう沈殿していくのかは、まだわからない。でもたぶん私はいま、自分の外に出ていきたいのだろう。風で道の脇に落ちた、小枝のようなものになりたいのだろう。そういう私自身を、じっくり引き受けてやりたいと思う。

    戦争について誰かと話したいことは何ですか、と最後に玲衣さんがひとりひとりに問いかけた。たくさんのエピソードや思考を浴びたばかりの頭で、私は混乱しながらも、「自分や自分の大切な人を守りたいと思うことと、人を殺したい、殺さなければならないと思うことの間には、どれほどの距離があるのだろう、ということを、考えたい」と言った。

  • 2023.05.08

    山に行きたい。この春はふたつ、低山を歩いた。大磯の駅から神社を経由して登る湘南平と、修禅寺からすこし車で南下して「踊子歩道」を歩く天城峠。どちらも穏やかに晴れた日で、メンバーもそれぞれすてきで、とてもいい山歩きだった。私がいま考えているのは、夏山のことだ。北アルプスか。八ヶ岳か。誰と登るのか。いつ登るのか。考えはじめると止まらなくなる。いつか行きたいと思っていた安達太良山のくろがね小屋が改修工事に入って、二〇二五年までお休みだという。残念すぎる。それでも今年は、東北の山にも登ってみたい。みちのく潮風トレイルも、月山や鳥海山のことも、ちらちらと気になりつづけたまま、未踏のままだ。ソロハイクはほとんどしたことがないけれど、何度か歩いた山なら行けるだろうか。いや、ちょっとしたことで不安になりやすいタイプだから、やっぱり誰かと一緒に行ったほうがいいか……。
    山に持っていく本のことも考えてしまう。天城峠を歩いたあとに『伊豆の踊子』を読み返したら、自分の身体にも入っている伊豆の地名がどんどん出てきて心が躍った。修禅寺から湯島、下田。踊り子が伊豆大島の波浮港出身だったなんて! 昔ながらの温泉街の雰囲気の残る波浮のふ頭で熱々のコロッケを食べたことがある人なら、この情報がどれだけ踊り子の身の上を語るのにふさわしいかわかると思う。
    ヤマケイ文庫の『牧野富太郎と、山』や、いつもは寝室に置いてある『クマにあったらどうするか』も、早くリュックに入れてやりたい。石牟礼道子さんの『椿の海の記』も、ラフカディオ・ハーンの『心』も、山の旅に連れていってもらう出番をじっと待っている気がする。

  • 2023.05.07

    ゴールデンウィークの終わりに、雨が一日じゅう降っている。キッチンのカウンターに置いていた鉢植えのビカクシダが雨を吸えるように、ベランダに出す。仕事をすこしして、音楽をかけて、本を読んでいる。

    土曜日、四月に近所の低山を一緒に歩いたメンバーのひとりが奄美の八月踊りのワークショップをひらくというので、気になって出かけた。海岸沿いを歩いていけば出会えるだろうと甘く見て出かけたら、ものすごい強風の日だった。砂まみれになって、途中で紙パックのフルーツオレを買って、飲みながら歩いていったけど、海岸沿いの公園にはワークショップどころか散歩する人もほとんどいなかった(からすですら、物好きなのが一羽いるだけだった)。紙パックの表面に、湿った砂がびっしり貼りついた。行きつけのカフェに避難して呼びかけ人のMさんに連絡をとると、ワークショップの場所は直前に変更になったらしく、地図の画像を送ってきてくれた。ぜんぜん見当違いのところを歩いていたことがわかって、今度はカフェで買ったアイスラテを握りしめて、道を戻った。ちゃんと防砂林を隔てた海浜公園の芝生のうえに、みんながいた。
    初対面の人が多い場所で、私がいつもの人見知りモードを発揮していると、会のひとが「踊らないんですか」と声をかけてくれた。「もうちょっと体を馴染ませてから……」と私がいつもの言い訳をしたら、「お酒、飲めますか」というので「は、はい」と答えると、じゃあお酒でリラックスしてください、と、満月という名前の黒糖焼酎の水割りを振る舞ってくれた。ありがたくいただいて、途中から踊りの輪に入る。
    休憩中に、陣羽織の先生が、奄美のことばについて教えてくださる。琉球王国の沖縄ことばに、薩摩統治の時代に入ってきた大和ことばが上書きされて、でも接尾辞や語尾のイントネーションに、統治前の名残りがあるとのこと。踊りには神様のほうへ上りつめていくトランス型と降ろして憑依するポゼッション型があり、八月踊りはトランス型。盆踊りも久しく踊っていなかった、クラブでも久しく遊んでいなかった私の身体だったけれど、ぐるぐる回りながら踊っていると全身が温まって、元気が出てきた。
    帰るとき、同じ方向のM子さんとバス停まで歩いた。M子さんは、ダイビングをやっていたことがあるらしい。30mの深さと50mの深さでは見えるものが違って、30mの世界はいろんなお魚がいて、わあ〜という感じで綺麗だけれど、50mの世界は静かで、よくわからないじっとした生きものがいて、息しかしてない感じになるらしい。なぜだか、その話を聞いて、私はますます元気が出てきた。

    金曜日の午後に能登半島で地震があった。先月末に取材に出かけたばかりの珠洲市では震度6強を記録して、いろいろな建物が壊れた様子が、ニュース映像で流れてきた。ああ、これは私の知っている町だ、と思う。芸術祭のチームのだれかれに何度も車で送り迎えしてもらって、自分の足でも少しは歩いて、ゆっくりゆっくり私の中に染みこんできた町。暮らしたことはないけれど、珠洲はもう私の故郷になっている。みんなのことが心配。

  • 2023.05.03

    大学で授業をしたり、友達と山に登ったり、海辺を散歩したり、珠洲へ取材旅行に行ったりしているうちに、四月(残酷きわまる月!by T.S. Eliot)が過ぎた。調子はゆっくり快復しているような、のらりくらり蛇行しているような。友達と会っているときは心から楽しく笑うし、仲間と仕事の連絡を取り合っているときも水を吸った植物みたいに元気なのだけれど、ひとりで部屋にいるとどうもぽつねんとしてしまう。去年が夏から年末にかけて怒濤の忙しさだったから、かるい燃えつき症候群みたいなものかなあとも考える。部屋でひとりになれる時間がほしくてほしくてたまらない、というような時期がかつてあり、そういう時間を手に入れてうきうき自炊した時期もあったけれど、いまは話したいことを話せるひとがまわりにいてくれるのがとてもありがたい。ほんとうに私はわがまま。人間はどこまでもわがままになれる。おそろしいことだ。
    人生の過渡期のきびしさなのかな、とも思う。それをようやく味わう日々も、やっぱりきっと私には必要なのだろうなと思う。ひとりひとり、毎日会えるわけじゃなくても大切なひとたちの顔を思い浮かべて、目を閉じて深呼吸すれば、夜はちゃんとよく眠れる。ひとりがうれしい感覚もやっぱりちゃんとこの手に感じ直したいけれど、うむ、焦らないぞ。書かなければならなかったものはなんとか草稿まで無事に書きあがり、編集者さんに渡せた。あとはこまかい手直しと推敲。きっとだいじょうぶ。

  • 2023.04.16

    尊敬する音楽家や作家の訃報が続いて、鬱々とすごしていた。昼ごはんを食べながら韓国ドラマを観ていても、へんなタイミングで涙が出る。書かなければならないものを横目に放置して、てきとうに流行りの音楽をかけて歌ってばかりいた。いやなことが重なって、私が鬱々とすごしているあいだに、いつのまにかピアノを習いはじめていた友達が、パッヘルベルのカノンをちゃんと弾けるようになっていた。友達が送ってくれた動画の中で、それはとてもいい演奏だったのに、私は鬱屈を隠しきれずにやつあたりしてしまった。ああいやだと思った。こんな私は私がいやだ。鬱々としたまま、仕事をひとつ片づけて、眠って、起きて、自転車に乗った。さいわいきょうは晴れていた。いつも行くスタバじゃなくて(覗いてみたけど、とても混んでいたし)、個人経営の小さなコーヒー店でアイスラテを飲んで本を読んだ。まだゴールデンウィークにもならないというのに初夏みたいな暖かさだった。すこし日が落ちるのを待ってから海に行った。浜沿いの舗道を、ゆっくりゆっくり自転車で走った。日曜日の人たちが、海にくるために海にきていた。それをみて、すこし気持ちが明るくなった。私の目の前で、気流を使って地面すれすれまで何度も繰り返し舞い降りて遊んでいるとんびをからすの輩が襲撃した。私は「ええ!」とひとりで笑ってしまった。河口をすこし遡った。それから海沿いの国道に出て、もう一軒、行きつけのカフェにはいってアイスコーヒーを飲んで、本の続きを読んだ。カフェをはしごするのはすごくひさしぶりのことだった。書かなければならないものは、一行も進まなかった。でも、きょうはこれでよかったと思う。そう思うことにする。

  • 2023.03.27

    水曜日、アリス・フィービー・ルー(Alice Phoebe Lou)のライブを観に、渋谷へ行った。ひとりでスタンディングのライブに行くなんて、私はこれまで、やったことがなかった。ライブの開始を待つあいだ、スクランブルスクエアの上島珈琲でナポリタンを食べて、アイスコーヒーを飲んだ。渋谷は相変わらず怖い街で、私の隣には、飲食店を始めようとしている若い女の子に始終びんぼう揺すりを続けながら切々と詐欺まがいのコンサルティングをしている男がいた。「それ、たぶん詐欺だよ」と女の子に言うチャンスを窺ったけれど(ほら「大豆田十とわ子と三人の元夫」にそういうシーンがあるでしょ、とわ子がレストランで結婚詐欺師に騙されかけてるとき、店員がそのことを教えにくる……)、私にはできずじまいだった。

    私は人生に推しというものをもったことがない。先日、初めてお会いした編集者さんに、そういう対象があるかと尋ねられて、唯一思い浮かんだのが、アリスだった。そもそもそんなに好きでもないスタンディングのライブに、一緒に行ってくれる人が誰もいなくても、結局ひとりで行ってしまうほど、アリスのことは、応援しているのだった。

    アリスを初めて見たのは、ベルリンに滞在していたときだった。2012年だったと思う。マウアーパークの路上で歌っていた彼女の周りには、もうすでに大きな人だかりができていた。透きとおる長いウェーブの金髪、華奢な妖精みたいな身体にギターをひっかけて、左足と右足に別々の色の靴下をはいて、彼女は歌っていた。私は路上ライブにそんなに大きな人だかりができているのを見るのも初めてだったし、自分が路上ライブに引き寄せられて見入ってしまうのも初めてだった。彼女の足もとに置かれた段ボール箱の中には10ユーロのCDがたくさん詰めこまれていて、歌の合間に、人混みの中からそれを買う人がひっきりなしに現れた。私もそのCDを一枚買った。写真も撮った。
    その数年後、アリスが来日するという情報に出くわした。あれからアリスはものすごく精力的に世界中のライブハウスでツアーを組んでいた。そしてついに日本にも来ることになり、青山で、青葉市子ちゃんと対バンするというのだった。チケットを買わないわけにいかなかった。あの子が、あの子が、あの子が、日本に来る!!! 嬉しくて嬉しくて、ライブ会場でたくさん声援を飛ばした。そんなことも初めてだった。
    彼女の四年ぶりの来日ツアーの初日はWWWXで、しっかりソールドアウトになった。日本語でちょっとだけ挨拶してくれた。お喋りの中で、桜の季節に来られて嬉しい、と彼女は言って、しかも昨日は春分だったね、春の、一年の始まりのエネルギーをみんなにお裾分けするね、と、客席に向かって種を撒くようなしぐさをして、それがまたかわいかった。四年前よりも女の子のファンがたくさん来ている気がして、それもまた嬉しかった。大好きな曲「dusk」をアリスが歌うとき、私は一緒に口ずさんだ。立ちっぱなしのライブが嫌いなことなんて、その歌を聞いているあいだだけは、忘れてしまった。

  • 2023.03.18

    水曜日、「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を観に映画館へいった。毎年この季節になると、アカデミー賞授賞式がある。映画の宣伝会社に勤めていた頃、その日だけは出社するとオフィスのフロアに大きなモニターが設置されていて、みんなでモニターを囲んでリアルタイムで賞の発表に見入った。クライアントの携わっている映画が受賞すると嬉しかった。公式サイトの予告編を「アカデミー賞ノミネート!」から「アカデミー賞受賞!」のバージョンに差し替えるのが私の仕事だった。オスカー狂いの私の上司は、Twitterで授賞式の実況中継をするために会社を休むのが恒例だった。私も、いまでもその日がくるとそわそわする。WOWOWを契約していないので、リアルタイムで全部を見ることはできないけれど、一日くらい経ってから、YouTubeで受賞者のスピーチをチェックする。司会のコメディアンが打つオープニングトークもチェックする。元上司のTwitterもチェックする。
    受賞者たちのスピーチを見ていると、私はすぐ泣いてしまう。今年は「エブエブ」のミシェル・ヨーが主演女優賞のスピーチをした。難しい年頃の娘の母親役を務めたミシェル・ヨーが「女性の皆さん、あなたがもう花盛りを過ぎたなんて、絶対に誰にも言わせないで!」と高らかに叫んでオスカー像を掲げ、会場の女たちが盛大な賞賛の声を飛ばす。勇気づけられて、私は泣く。「エブエブ」のダニエルズも監督賞のスピーチをした。早口で謝辞をまくしたてるスピーチの中に映画や芸術への愛が詰まっていて、私はまた泣いてしまう。「エブエブ」のジェイミー・リー・カーティスも、助演女優賞のスピーチをした。プロデューサーとしても活躍しているこのベリーショートのよく似合うかっこいい女性が「オスカーをとったのは、(私ひとりじゃなく)私を支えてくれた全員です、私たちが、私たちが!オスカーをとったんです!」と両手を広げて叫ぶ言葉の説得力に、また泣いてしまう。
    アカデミー賞の結果をひととおり知ったところで、作品賞受賞作を映画館に観にいくのが、もうずいぶん前から、私のこの時期の恒例行事になっている。「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」は、マルチバースという言い訳のもと、あの怪作アニメ「ポプテピピック」みたいなめちゃくちゃさのなかで王道の物語が展開されて、そのばかばかしさの中に見え隠れする愛がツボに入ると笑いが止まらなくなってくるのだけれど、私の観た回では映画館は静まりかえっていた。後ろの列に座っていた老夫婦は、アカデミー作品賞受賞作を観に来たはずなのにいったい何を見せられたのかしらという顔で、エンドロールが始まると早々に席を立っていた。

  • 2023.02.22

    火曜日は恵比寿で、結さんと肉を食べる会をやった。結さんは画家である。私たちは去年、横浜での展示をきっかけに知り合って、展示中のイベントで制作されて私がとても好きになった絵を、結さんは私の詩と交換で譲ってくれて(その交換が成立した日、芸術家をやるって愉快だなと思ったものだ)、火曜日は恵比寿で、その完成した詩を結さんに納める会でもあった。
    絵は、ギャラリーの展示室で見たときには普通の大きさに感じられたのに、額装してもらうときに改めて対面すると、ちょっとびっくりしてしまうくらい大きかった。私の部屋に来たときも、絵はちょっと動揺してしまうくらい大きく感じられ、やっぱりもっと小さい絵にすればよかったかなという気持ちが一瞬頭をかすめた。けれども毎日一緒に過ごすうちに、絵は部屋の壁になじんで、またちょうどいい大きさになってきた。ひとの身体の動きを追って描かれた線や色が、ときどき目に入ってくる。昨日は見えなかった線や色が、今日になってよく見えるということがある。
    お酒をのみながら、制作のことや、暮らしのことや、世の中にはわからないことが多いことや、おいしいものを食べることの重要性について、私たちは喋った。基本的に朗らかな結さんは、話しているとときどきこちらが息をのむようなふしぎな比喩をつかうのだけれど(ふしぎすぎて、思いだそうとしても思いだせない)、本人にはあまり自覚がないらしい。結さんの同僚は、仕事を辞めたらトロールハンターになりたいらしい。私たちの斜め後ろでは、てらてらとよく肥えた都会の獰猛な馬のような男たちが声をぱーんぱーんと張って向かいに座る女たちに自分たちの魅力をアピールしようとしていて(ああそうだった、ここは恵比寿、これだよなあ)、声が空間に溶けがちな私たちは、しばしば会話を中断されて苦笑いしてしまった。

  • 2023.02.07

    小野和子著『あいたくて ききたくて 旅にでる』をすこしずつ読んでいる。日曜日は、冬のあいだにすっかり殺風景になってしまったベランダのために、近所の花屋でワックスフラワーを買ってきて鉢に植えた。800円。日曜日は混んでいるとわかっているのに、なぜか花屋に行きたくなるのはいつも週末。
    昨日は獅子座の満月だったらしいけれど、見逃してしまった。昨日は、ぺろの年1回の混合ワクチンを打ちに、かかりつけの動物病院へ行った。リュック型のケージにぺろを入れてしょって、自転車に乗る。坂をくだるとき、背中に向かって「はい、坂くだりますよ〜」と言い、川を渡るとき、背中に向かって「はい、川だよ〜見てるか〜」と言う。ぺろにとっては、年1回のお出かけデー。病院の台の上で肛門腺を絞られているときは怒りの雄叫びを上げても、済んでしまうとけろっとしているから、いい性格だなあと思う。今回は、初めて歯石も取ってもらった。

  • 2023.02.04

    先日ジェフリー・アングルスさんに教えてもらった、キャロル・キングが歌う「チキンスープ、ライスいり」のYoutube動画がかわいくて、何度も見てしまう。もともとはモーリス・センダックのことば遊びうたで、私は子どもの頃に邦訳版の豆本(というのか?ミニサイズの箱入り絵本)を繰り返し読んだけれど、キャロル・キングが歌っているバージョンがあるなんて知らなかった。しかも、こんなにかわいいアニメーション付きで!
    ジェフリーさんは日本語がとても堪能だから(それに、私たちが会うのはいつも日本だから)、私たちが会うときは基本的に日本語で話す。でも喋っているとなぜか私の脳みその英語の部分が刺激されてきて、ついこんな会話になったりする。
    J「アメリカの食べもの、何が印象に残ってる?」
    S「Seven up!」
    J「Wow, Really!?」
    J「その授業は、クリエイティブライティング?」
    S「うーん、kind of クリエイティブライティングって感じ。」
    J「清夏さんは、いつから詩を書きはじめたんですか?」
    S「いわゆる(指二本でエアクォーツして)ポエムと言われるようなものは、中学時代から書いてて……。」
    J「子どもの頃、どんな本読んでた?」
    S「ロアルド・ダールが大好きだった。あと◎◎とか△△とか……、あと、Where the Wild Things Are.」
    ジェフリーさんにはもちろん「かいじゅうたちのいるところ」でも通じるのだけれど、こんなふうに自分の言語体系の中に紛れている英語を会話のなかで拾いあげるのが、ジェフリーさんと会話するときの、私の密かな楽しみなのだ。

    朝、コーヒー、はちみつバナナいりヨーグルト。
    昼、ツナいりトマトソースパスタ、ツナとかぶの葉のサラダ、炭酸水。
    夜、かぶの焼くだけ、菜めし、明太子、赤ワイン。

  • 2023.01.19

    しめきりのある原稿の途切れめがきて、久しぶりにゆっくり読書や料理や掃除をしている。火曜日には上野のピカソ展に行って、そこから友達夫婦の営んでいる西馬込のカフェに足を伸ばしたりもした。ピカソの絵は、入ってすぐのところに展示された素描の「The Sleeper(眠る男)」というのがすごく良くて、なかなか絵の前を離れられなかった。眠る男のベッドの反対側に立て膝をついて座った裸の女の、男を見ている顔が、とても柔和で、優しくて、しあわせそうだった。腕をあげて眠っている男の脇毛まで、しあわせそうだった。
    カフェは大繁盛で満席。Nが出てきてくれて、私は外で本を読みながらすこし待って、席が空くと入って、Nが立ち働く合間に私たちは少しずつ喋った。これまでいつも、友達どうし集まったり、東京観光のひとを連れてきたりで、考えてみると、ひとりで来るのは初めてだった。「私らも年とった!」とNが言う。Nとふたりで新宿ゴールデン街の一日貸しの店でスナックのママをやったのは、あれはもう何年前だろう? Nの息子は今年、小学2年生になる。カフェは外から射しこむ光がとても心地よくて、チョコレートスモアの甘さが蠱惑的で、読書が捗って、私はやっと、冬やすみの心地がした。Nと、今年こそは「語る会」をしようと話して、帰ってきた。

  • 2023.01.05

    仕事初め、ランドマークタワー。行きがけに、みなとみらい駅でとてもかわいい老婦人に「6番出口ってどこかしら?」と声をかけられて、「私もその出口なんですけど、どこでしょうねえ」と一緒に迷いながら道案内をした。老婦人は「なんとかいうホール」を探していて、「東急ホテルに泊まる」というので、まあみなとみらいホールだろうと当たりをつけて、途中まで一緒に行った(でももしもランドマークホールだったらごめんね、おばあちゃん…!)。5階分くらいを一気に昇る長いエスカレーターに一緒に乗ると、「もう82歳だから、ホールの名前やなんか聞いても忘れちゃうのよねえ」「前にも来たことあるんだけど、そのときは桜木町駅だったの」「それにしてもすごいわねえ」とみなとみらい駅の摩天楼を見回して老婦人は言い、最近じぶんのおばあちゃまの話を本に書いた私は、むげにできない。エスカレーターを降りたところで、「おかあさん、私はこっち行かなきゃなんだけど、おかあさんはあっち、あの白く光ってる道だと思う」と言って、老婦人がその道に消えていくまで、後ろ姿を見た。それが「6番出口」だったのかは、けっきょく最後までわからずじまい。
    ラジオに生出演するというので、フリートークの苦手な私は話すことを台本にたくさん書きこんでいった。でも喋りだしてみると、ここ数年あっちこっちで人前で喋る仕事をしてきて、さすがにすこしは、喋ることにも慣れてきているような気がした。FMヨコハマのスタジオのロビーからは「花束みたいな恋をした」の観覧車がみえて、空がすこーんと青かった。あんまり気持ちよかったから、帰りはイヤホンで音楽を聴きながら、まっすぐで平らで意味がわからないほど広い道路を、横浜駅まで歩いて帰った。

  • 2023.01.04

    新しい年が、しれっと始まってしまった。どこにも出かけずに部屋で年越しをした。そのかわり、去年の最後の週にご近所仲間のSちゃんたちが南伊豆ドライブ旅行に連れ出してくれた、その思い出をお正月の肴にしていた。ふしぎな旅だった。ぐうるぐうるとらせん状に降りていく天城越えの車道を、私は中学の研修旅行で何度か通ったことがあった。それは身体が憶えていた。滝をみて、おだんごを食べて、温泉に入り、お刺身とクラフトビールで乾杯した。とても普通の、王道の温泉旅行で、それがよかった。普通じゃなかったのは、その新しい宿を切り盛りしているのが、Sちゃんの知り合いだということだった。大きな座卓をみんなで囲めるようになっている宿の広間の隅で、遊びにきた近所のおとなやこども(それもSちゃんの知り合いだった)が百人一首かるたをやっていた。途中から私も混ぜてもらって、百人一首でいちばん好きな歌(あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む(柿本人麻呂))の札を小学生の女の子と僅差で(ちょっと譲ってもらって)とった。それから「海老しか勝たん」というひょうきんな名前のバーにどやどやと行った。バーはとてもちょうどいいサイズで、暖かくて、よく知っている人とさっき知り合ったばかりの人がいて、マスターは人の心をひらくのがうまかった。紅茶とオレンジの強い香りをつけたジンを勧められて飲み、おかしな酔っぱらいかたをして、気がつくと、そこにいる若手女子たちの人生相談を片っ端から引き受けていた。

  • 2022.12.28

    ドラマ「エルピス」最終話。嗚咽するほどの涙が、何度も何度も出てしまう。「なんで殺されなきゃなんないのよ」という浅川(長澤まさみ)の渾身の台詞に、大きなものが込められすぎていて、私は怒っていたんだ、そうだ、当然だよ、怒っていたに決まってるよ、だって……と、あのこともこのことも、生きていくためにとりあえず忘れることにして読み捨ててきた酷いニュース記事の数々と、それらによって呼び起こされた感情を、いくつもいくつも抱きしめるみたいに思いださせてもらった気がした。どのシーンもよかったけれど、浅川が自分の読むべき原稿を読んだあと、怖い顔してスタジオに居並んだ偉いおじさんたちから「逃げてきたー」というシーンがかわいくて、切実で、私もあんな巨大なビルのゲートから逃げてきたことがある気がして、うれしかった。報道(女=浅川=長澤まさみ)が政治(男=斉藤=鈴木亮平)に「流れで抱かれてしまう」関係をいかに脱するかという話でもあったと思う(自分の仕事を果たそうと決めた直後に、浅川は斉藤に振られる)。こんなに揺さぶられるドラマに出会ったのは、「それでも、生きてゆく」以来かなあ。

  • 2022.12.22

    同じイタリア人をファシズムと反ファシズムの二つの意識に引き裂き、対立する思想ゆえに、民衆が隣人を敵視し、あるいは極端な場合には肉親までも敵視し、血で血を洗い、殺戮と報復を繰り返して、その果てに解放を達成したとき、人びとは語るべき事柄を視野いっぱいに持っていた。したがって、一九四五年四月以降、イタリアでは、パルチザン体験の物語と実話がまさに怒濤のように巷間にあふれたのである。この間の事情をカルヴィーノは(略)つぎのように記している。「何人もの玄人の作家の声が夥しい数の素人の著書の氾濫のなかへ呑みこまれてしまった。それらの著書とは、たとえば、きわめて生々しい戦争体験の証言であったり、民衆生活のあからさまな記録であったり、未熟な創作の試みや、素朴な随筆の類いや、他を圧する庶民の雄弁の書であったりした。そしてさまざまな様相を呈するその全体が、良きにつけ悪しきにつけ、イタリア・ネオレアリズモと名づけられるものを形作っていたのだった」。いうなれば、それは《主観性の海》であった。

    河島英昭著『叙事詩の精神 パヴェーゼとダンテ』(岩波書店)
    「カルヴィーノ文学の原点」より
  • 2022.10.11

    「私は思い描く」

    私は思い描く、南へ向かう列車を。
    私は思い描く、あなたの今朝のあくびを。
    私は思い描く、夏のシーツを渡るテントウムシの速度を。
    私は思い描く、清掃業者が鍵を閉めて出ていった部屋の隅に、ゆっくりと舞い落ちる埃を。
    海に降る雨を思い描く。
    テラス席の光を思い描く。
    真夜中の図書館を思い描く。
    私は思い描く、疲れて沖に浮かぶかもめを。
    私は思い描く、空いっぱいに浮かぶ気球を。
    私は思い描く、夕立をやりすごす雀たちを。
    私は思い描く、いますぐ会って抱きしめたいひとを。
    離陸する飛行機を思い描く。
    真昼の空の星座を思い描く。
    群島をむすぶ船の航路を思い描く。
    私は思い描く、映画館の暗闇で流れる見知らぬ誰かの涙を。
     自分だって同じ涙を流しているのに、彼と知りあわないまま別れる贅沢を。
    私は思い描く、古いビルの屋上で誰かが爪弾くギターの音と
     暖かい満月と、手に手に強いお酒を持って語らうひとびとを。
    私は思い描く、ひとびとが帰っていき、ラブソングの転調のように
     夜風が冷たくなる瞬間を。
    知り合いに偶然出くわす都会のある日を思い描く。
    仕事終わりにそのまま飲みにいっちゃう夕方を思い描く。
    着る機会を待っている、着ると嬉しくなる服たちの出番を思い描く。
    私は思い描く、萎れかけの花の、匂いたつ肢体を。
    私は思い描く、庭の草陰にねむる、生きものたちの寝息を。
    私は思い描く、洗いたての濡れた髪、毛先がゆっくり乾く匂いを。
    私は思い描く、まだ訪れたことのない町をーーたとえばダブリンを。
    私は思い描く、打ち捨てられ、緑の苔に包まれてゆく銃と戦車を。
    隣の部屋に住む人の、睡眠時間を思い描く。
    夜のカフェがともす灯りの、確かな明るさを思い描く。
    夜明けの猫たちを思い描く。
    死者の国を思い描く。
    コップ一杯のきれいな水を思い描く。
    私は思い描く、人類最初の戦争が始まった日の前の日を。
    私は思い描く、影になって消えたあなたの始めようとしていた一日を。
    私は思い描く、地上に爆弾の落ちることのないある日を。
    私は思い描く、その日の静けさを。
    私は思い描く、世界中の詩人たちの現在地を。
    私は思い描く、閉館後のショッピングモールを。
    私は思い描く、世界中の本屋さんの今日の売れ行きを。
    私は思い描く、世界中の劇場の舞台袖の歴史を。
    私は思い描く、建物の壁に最初のひび割れが刻まれる瞬間を。
    私は思い描く、夜のどこかで痙攣しているあなたの瞼を。
    氷河期を思い描く。
    橋を思い描く。
    山をひとつ、思い描く。
    私は思い描く、山頂からみえる景色を。
    私は思い描く、青く澄みわたる湖の静寂を。
    私は思い描く、雪渓を吹き上げてくる冷たい風を。
    私は思い描く、陽に照らされて消える朝露の最後のひと雫を。
    私は思い描く、けさのレタスを収穫しにゆくトラックの立てる走行音を。
    私は思い描く、私の靴底が運んだ種からまだ名前のない草花の芽吹くのを。
    体内を巡る血の流れを思い描く。
    理想的な作業机を思い描く。
    夏の美術館の静寂を思い描く。
    いまのいま、どこかで一杯のコーヒーのために沸騰しているお湯の総量を思い描く。
    私は思い描く、人々の口元が顕わになる日を。その日に選ぶ口紅の色、その日最初に話しかける相手を。
    私は思い描く、もう味わうことのできない味を。あの店でたのしく働いていた人々を。
    私は思い描く、逃げのびたあなたの心を。湖を覆う霧が晴れてゆくように、それが静かに晴れてゆくのを。
    私は思い描く、ほんとうの議論を。半導体のように通電する言葉を。
    私は思い描く、ひとりぼっちで踊る歓びを、それから大音量を浴びて誰かとめちゃくちゃに踊る歓びを。
    夏祭りを思い描く。
    打ち上げ花火を思い描く。
    詩を一篇、思い描く。
    私は思い描く、人類の誕生以前から繰り返されてきた夏至の日の日没を。
    私は思い描く、落下する雨粒が一生のうちに目撃する景色のぜんぶを。
    私は思い描く、いつか私が出会い、もう忘れてしまった人の暮らしを。
    私は思い描く、いつかあなたが出会い、まだ忘れられない人の笑った顔を。
    私は思い描く、きのう生まれたものの瞳に、いま映っている光景を。
    私は思い描く、あしたの天気を。

  • 2020.10.10

    もう何年も、政治報道を見るたびに「これ以上ことばを、日本語を、蹂躙しないでくれ」という気分に侵される状態が続いている。きょうは朝日新聞を読んでいた。矛盾ということばが何度もつかわれている記事だった。その記事の書き手の意見はこうだった。「首相の説明は矛盾をはらんでいるようにも聞こえる」。ふたつの発言の間にあるあきらかな矛盾にたいして、なぜ新聞が「首相の説明は矛盾をはらんでいるようにも聞こえる」などという婉曲的な書き方をしなければならないのか。矛盾は矛盾だ。ことばは、報道のことばは、正確に使われるべきだ。ことばを侮辱しないでほしい。政治家にも、報道にも、もうこれ以上ことばを貶めるのをやめてほしい。私は私の愛していることばが踏みにじられるのが悔しい。

    劇団地点の『君の庭』という演劇を観た。地点の評判をまえから聞いていたので、観られるのが嬉しかった。ひさびさに劇場空間に身を置けたことも嬉しかった。演劇の主題は、天皇制についてということだった。

    シンプルな身ぶりが何度も繰り返される演劇だった。観ているうちに、私は苛立ちを感じた。挑発されていると感じた。見終える頃には、ずっしり悲しくなってしまった。ことばが弄ばれていると感じた。おそらくは「御言葉」の権威を引きずりおろすために、ふざけたようなイントネーションや英語や偽方言のようなものがもちいられ、そのどれもが、目的ではいっさいなく、権威への挑戦のための手段に成り果てていると感じた。方言が手段に成り果てるという事態は、この国の方言のおかれてきたポジションを考えるだに、あまりにひどい。時事用語も法もアイヒマンも安倍晋三の物真似も、手段に成り果てていた(中盤の古事記のくだりだけは、ほんのすこし愉快な気持ちになった)。脚本家はこの演出をどのように観るのだろうと思った。私が悲しくなったように悲しくなることはないのだろうかと思った。

    私は自分を保守的な人間だと思う。日本語を愛している私をこんなにも悲しくさせることがもし演出の狙いどおりだったとすれば、それは嫌になるほど成功していたと言わなければならない。「御言葉」を批判するためにどのような手段がほかにあるのか、と言う人もいるかもしれない。私はただ、手段としてのことばにはもううんざりしているのだと思う。劇場でくらい、弄ばれることばでなく、深いところへ潜っていくような、豊かなことば遊びが観たい。ことばの魂がすくわれるのを観るために、客席に座りたい。

  • 2020.7.31

    やっとの晴れ。アイスラテをつくって飲む。朝10時、今度依頼する予定のペットシッターさん2名で来訪。ぺろは何かを察知して距離をとっている。洗濯物を干して、マスクをつけて革靴と登山靴のカビとりをした。網戸にして涼んでいたら、窓の外の緑に陽が射してるのが見えて、隣の家の子どもたちがプールに入ってるはしゃぎ声が聞こえてきた。声で、全身で楽しんでいるのがわかって、いいなーと思う。私もそのプール、入りたいぜ。梅雨明けなのかな。今年の梅雨はほんとに長かった、ちゃんと降った梅雨だった。7月終わっちゃったではないか。中庭の草をすこしむしったら、部屋に蚊が入ってきた。自転車で近所の新しいカフェに行ってみる。昨日髪を短く切ったので、帽子にキュッと髪がおさまって嬉しい。アイスコーヒーとソフトクリームを注文して、すこし読書。帰りに海に寄った。淡い、凪いだ海だった。水族館の通用門のところで写真を撮ろうと思ったら、スマホが電池切れだった。秋からしばらくは、帰りに海に寄ったりできなくなる。またいつかここに住めるといいなと思う。夕飯の買い物して帰宅。蚊取り線香ミニをつける。冷房の中の蚊取り線香の匂いは、プルーストのマドレーヌみたいに、手で摑めそうなノスタルジーの匂いだ。

  • 2020.5.4

    She is というメディアの編集者の竹中さんを紹介してもらったのは、今年に入ってすぐの頃だっただろうか。その頃私は、詩誌「て、わたし」主宰の山口勲さんとともに赤坂の書店で世界の詩人を紹介するイベントを連続開催していて、そのイベントのためにパトリシア・ロックウッドというアメリカの詩人の詩の翻訳を進めていた。その詩は、翻訳すればするほど、いちイベントで紹介すれば済むようなものではないように思われてきて——この詩が日本語になってこれまで届かなかった誰かに届くことがとても重大なことのように思われてきて、イベントの最終回の打上げの帰りの電車のなかで山口さんに相談したら、「あ」という感じで竹中さんのことを教えてくださったのだった。

    パトリシア・ロックウッドの詩「レイプばなし」[She is]

    She is という媒体のことはその前から知っていたし、この詩を紹介するにあたって、これ以上ふさわしい媒体はないと思われ、人の繋がりをほんとうにありがたく思った。この詩は読むたびに読み味が違う。暗い虹色に光る詩なのだ。あけすけで、軽くて、乾いていて、笑えて(朗らかな笑い?自虐的な笑い?驚きの笑い?わからない)、すごく痛い。紙で指を切るとき、痛みより先に傷口がひらいて、そこから血がどんどん出てくるのをまじまじと見てしまう、そういう詩だ。読み手は覚悟を要求される。この詩をどう読めばいいのかを自問する無限ループに下りていく覚悟だ。でも、多くの人に読んでほしい。目をかっぴらいて見てほしい。性の問題に向きあうとは、こういうことでもあるということを。それは笑える話なのか。それを笑うことを許されているのは誰なのか。それを笑い飛ばせる日はいったい来るのか。パトリシア・ロックウッドは、自らの生死を賭けて紡いだ言葉で、彼女だけの向き合い方を叫んだのだと思う。
    度重なる変更や誤訳の修正におつきあいくださった竹中さん、ほんとうにありがとうございました。

    あの記事が掲載されたのが、三月初め。それから一ヶ月、どこにも出かけられない四月の日々に書いた日記を、She is Safe Projectに寄せました。イ・ランさんの日記の展開には驚いたけれど、その爆発的な素直さがかっこいいなと思った。プロジェクトは、これからも続いていくとのことです。

    違う場所の同じ日の日記[She is]

  • 2020.4.23

    「必要な店」

    必要な店が立ち退いたあと
    私たちはしばらく呆気にとられていた
    自分の無力にほとほと落ちこみ
    それから感謝と追悼を述べ
    まだお金で買えるものと
    お金で手に入らなくなったものを数えた

    必要な店が立ち退いたあと
    空き店舗の前を私たちは早足で行き過ぎた
    栄養が足りなくて
    私たちはいらいらした
    私たちは政治の無能を罵った
    私たちはミモザの咲いたのを見逃した
    私たちはキセキレイの飛来に無頓着になった
    必要だった店を不要としていた者を見つけて責め
    何か殴るのによさそうな不要なものを手近に探した

    だけどそれも長くは続かなかった
    私たちには圧倒的に栄養が不足していた
    私たちには死が迫っていた
    私たちは必死になった
    必死に抗議し
    必死に応援し
    栄養を必死に補い
    栄養源を死ぬ気で育てた

    挙げ句の果てに私たちは空き店舗を借りた
    そして育てた栄養源を売る店をひらいた

    誰が必要としているかはわからなかったが
    私たちの一命をとりとめた栄養源だった
    その頃には扉や窓は禁じられていて
    店には扉も窓も存在しなかった
    目印に私たちは外壁を黄色に塗った

    以前の店とはあまり似ていなかったが
    私たちは自信をもって商売をはじめた
    私たちに必要な店は
    きっとあなたにも必要だと思ったから